Neon IndianとHotline Miami、その少し上にBoyd Rice

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狂ったようにやっていた『ホットライン・マイアミ2』もハードモードの理不尽さに折れそうになり熱が醒め始めた頃、少し気になるトピックを見つけた。ブルックリンのアーティストであるアラン・パロモのプロジェクト、ネオン・インディアンのミュージック・ヴィデオにホットラインのようなネタがあるらしく、「Slumlord Rising」という曲がそうらしい。
バイクのメットを被った「バイカー」らしき人物が出てくるあたりは確かにそれっぽい。それに曲もベースとシンセの音色からして『ホットライン』っぽい!かねてから名前は知っていたネオン・インディアン。実際はどんなものか知らないままだったが興味が湧いた。とりあえず10月に出たばかりのアルバム『VEGA INTL. NIGHT SCHOOL』を買ってみたのだ。これがまた、何度でも再生できるほどにお手軽な出来栄え。

チルウェイヴと呼ばれているらしいが、詳しい定義などは知らない。サウンド的にはベッドルームで作った(と形容されがちな)、今となっては安上がりなディスコ・トラックを骨組みに、独り言のような歌が続く。コード進行も全体的に古く聞こえる80年代以前的なもので、流行とは程々に距離を置いているよう。もちろん、ダサいなんてことはなく、変に力が入っていないだけ好印象。10年くらい前に流行ったエレクトロ・クラッシュを思い出したりもした。あれもティガが「バーニング・ダウン・ザ・ハウス」をカバーしていたが、ネオン・インディアンの場合はオリジナルなのでリサイクルなんて表現はふさわしくない。ジャケットの日本語帯を模したレイアウトなどの勘違いぶりはいつの時代になっても消えないが、気に障ることはない。サウンドもまた同類で、テレビやビデオゲームのBGMのような、賞味期限とは別の寿命を持っている。面白い、というよりは安心できるものだ。オマケにビデオゲームから影響を受けているという発言までしている。『餓狼伝説』が好きなんだって?なんだか『ホットライン』と似ているのも偶然じゃないような気がしてきた・・・

『ホットライン』はアメリカならではのサバービアにフォーカスをあてて、ドラッグ、冷戦、その果ての核戦争まで描き出している。アメリカを筆頭に脈々と続く、栄華と頽廃が共存している時間。相対関係ではなく、常につがいで存在する現実と虚構は境界が曖昧なまま進んでいく。『2』ではなんと「前作のシナリオをモデルにした映画の撮影」と本来のシナリオが交錯して、ますます不明瞭な線引きのおかげで自分がやってきたプレーがどちらかなのかわからない。ゲームならではの演出だ。デタラメな難易度がやる気を削いでくれた『2』だが、雰囲気は前作にも増して最高で、サイケデリックな配色を持って溶け込んでいく夜は8bit(風)のグラフィックとハワイアンもどきのサウンドにより陶酔感たっぷり。テレビ番組のシーンになるとBGMが途端に安っぽいジャスコな音楽になるなど、都市型のエキゾティカに満ちている。ネオン・インディアンと『ホットライン・マイアミ』は同じ空気と風景から生まれたと言ってもおかしくはないはずだ。モンドと言ってもいいのだろうけど、現在進行形のこれらを古典的な意味で片づけてしまうのは申し訳ない。

とまぁ、こんなことを時間潰しに考えていたら、またも興味深い物件を見つけた。それはネオン・インディアンの楽曲「ハロゲン」をボイド・ライスがリミックスしたものである。真っ先に「あのボイドなの?」と思って調べてみたが、どうやら本当らしい。とあるメディアでは「ネオン・インディアンはノン(ボイドのプロジェクトの一つ)のグルーヴに興味を持ってリミックスを依頼したのだろう」と推測していた。サージョンもノンのハードなノイズを好きだと公言しているし、コールド・ケイヴといった後発からもラブコールを送られるなど、意外とファンは多いボイド。しかし、本当にサウンド面での関心だけで依頼したのだろうか?以下、自分の推測。
ボイドはノンにはじまるインダストリアル・ミュージックの先駆者の一人というキャリアが有名だが、他にもいくつものフィールドを持っている。ペイガニズム、ディズニーランド、『パートリッジ・ファミリー』などのテレビ番組、ティキ・カルチャー、ビートジェネレーション、シリアル・キラー、アルコール、モンド・ミュージック・・・六〇年代の断片を中心に、彼はアメリカそのものへアクセスする。ジェネシス・P・オリッジやデヴィット・チベットといった面々と通じたのも、コマーシャルが世界を支配する前の音楽や文学への愛着を共有することで交差したからだろう。ほんのわずかな範囲でしかないアメリカの中心部「以外」が抱き続けるサバービアの憂鬱、ネオン・インディアンが持つ「パルプ」なストリート感(ヒップホップにあらず)、『ホットライン・マイアミ』が持つ、その他の感情が欠けたことでバランスを失った快楽はボイドの青春である六〇年代から脈々と続いている。ネオン・インディアンはノイズ・メイカーのノンではなく、サバービア及びアメリカを追及するアメリカ人、ボイド・ライスに惹かれたと思えてならないのだ。
『ホットライン』のデモでたびたび描かれる、この世のどこかから、操作するキャラクター又は不特定多数の誰かに向けてメッセージを送る光景。ボイドのキャリアで言えば、90年の『ミュージック、マティーニ・アンド・マイサンソロピー』や95年の『ヘイツヴィル!』、そしてこれらの父となったロッド・マクエーンといったビートジェネレーションがやっていたことをDennaton Gamesはビデオゲームで行なっているのかもしれない。そしてアメリカとビデオゲームに熱心なネオン・インディアンが意識して、あるいは無意識に両者からインスピレーションを得ていたら、彼は正当なアメリカン・ポップスの担い手と呼ばれるべきなのかもしれない。そんな予感をもって、自分はコントローラを握って酩酊するまで殴打し、射殺される夜を迎える...

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15.11/29