Live and Let Liveの電子版をリリースしました

書籍版より少し安いです

2016年に出した著書『Live and Let Live』のpdf版を出した。加筆ははなし、把握している範囲の誤字脱字を修正し、権利者がわからない写真はオミットした。BASEといいサービスを使って売りに出しています。

過去の文章を見返すことは、ほぼない。よって、電子化自体は簡単な作業だったが、無理やり過去を振り返ることは厳しいものがあった。文章が稚拙なのはもちろんだが、私個人の見解≒情報がない人への手がかりが思った以上に書かれていない。曖昧なアイデンティティを持つデス・イン・ジューンやボイド・ライスを扱うとなると、どうしても「断言」するのが難しくなる。いくらヒストリーを構成するエピソードを詰め込んでいても、彼らと世間の間に起こった事実を拾い上げることが疎かになっていては、今の時代に書き起こす意義がないのかもしれない。しかし。それは作家たちをジャッジすると言ってもよいため、私はそうした試みに気乗りしなかったのだ。
しかし、しかし。この認識を少し改めるように取り組まねばならないと思い始めた。きっかけはジョン・ライドンがトランプの支持を言及し、モリッシーが多文化主義を否定する旨の発言をしたという報せである。メディアに嫌われている彼らだけに、繊細なワードやトピックに触れようものなら、メディアは意図的と言えるほどに切り取り、意見を編集してしまう。事実をねじ曲げかねないのはもちろん、作家から歴史がオミットされてしまっている。結論よりも、そこに至ったプロセスを明示しなければ、彼らはただの逆張りの初老としか映らないだろう。
読者の中には彼らを初めて知るという人も多いはずだ。特に政治の問題はアートの範疇に限られるものではない。その記事がその人の見解をそのまま示す。読む側のリテラシーに判断を委ねるのは、ニュースを名乗るメディアがやることとしては不誠実に思う。

私のやっていることは基本的にアーカイヴなのだが、単に事実だけを並べるだけでは浮き上がってこないこともある。30年以上のキャリアがある作家ならば尚更だ。かつて起こった出来事、生まれたアイデアが今日どのように見えるのか。どのような効果を発揮するのか。今後は多少の勇気をもって、自分の見解を対象と擦り合わせていきたい。人を知り、書き記すには相応の責任がある。解き明かす作業においては避けられぬものだ。断っておくが、ちょうちん記事のようなべた褒めや、上に書いた作為的な編集はこれに当たらない。それを生業にするのだ、という人も多いようだが。


(18.4/20)