過去の文章を見返すことは、ほぼない。よって、電子化自体は簡単な作業だったが、無理やり過去を振り返ることは厳しいものがあった。文章が稚拙なのはもちろんだが、私個人の見解≒情報がない人への手がかりが思った以上に書かれていない。曖昧なアイデンティティを持つデス・イン・ジューンやボイド・ライスを扱うとなると、どうしても「断言」するのが難しくなる。いくらヒストリーを構成するエピソードを詰め込んでいても、彼らと世間の間に起こった事実を拾い上げることが疎かになっていては、今の時代に書き起こす意義がないのかもしれない。しかし。それは作家たちをジャッジすると言ってもよいため、私はそうした試みに気乗りしなかったのだ。 私のやっていることは基本的にアーカイヴなのだが、単に事実だけを並べるだけでは浮き上がってこないこともある。30年以上のキャリアがある作家ならば尚更だ。かつて起こった出来事、生まれたアイデアが今日どのように見えるのか。どのような効果を発揮するのか。今後は多少の勇気をもって、自分の見解を対象と擦り合わせていきたい。人を知り、書き記すには相応の責任がある。解き明かす作業においては避けられぬものだ。断っておくが、ちょうちん記事のようなべた褒めや、上に書いた作為的な編集はこれに当たらない。それを生業にするのだ、という人も多いようだが。 (18.4/20) |
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