h027  The Haunted and Intimate World of '90s Japanese Video Games
自伝的に記述されたビデオゲームの再読  by Y.Hirayama (edited by 忍冬畳部 Suikazura tatami-bu)


Samples of the cover

will come in the early of 2024


90年代から2000年代半ばにかけてリリースされた国産ビデオゲームを私的に振り返るテキストです。

The book will be A6 paperback size, around 100 pages, 日本語 (英語版も完成次第販売予定) 

忍冬畳部 Suikazura tatami-buとは?
Yu Hirayamaと幾人かによるレトロゲーム再読運動体。時折Suikazuraのyoutubeチャンネル「Suikazura Video Board」にてレトロゲームにまつわる雑談を公開(予定)。

"この本は90年代と2000年代前半に作られたいくつかの日本産ビデオゲームと、それを取りまくノスタルジーについて書かれている。最初に宣言しておかねばならないのは「ノスタルジー」とは書き手の、つまり私の記憶に限定されたものであるため、読み手と共有できるように定義するのは難しい。しかし、「こういったものとは違う」という逆説的な表現くらいならなんとかなる。たとえば特定の世代の幼少期に流行った玩具やフィクションのリバイバルを支えているものは、この本が目指すノスタルジーとは似て異なるものである。消費者へ懐かしさというエモーションを与えることに献身的な商品は、それはそれで一つの目的をもっている。任天堂を例にするなら『ファミコンミニ』からニンテンドーダイレクト上の配信まで、フォーマットを飛び越えながら過去の作品が再生産され続けてきたことに顕著である。
昨今ではよく目に入るピクセルアートやトゥーンシェーディングなど、かつて通過されてきた表現を用いた「最新作」は、作り手たち本人からすれば「現在にないもの」を目指した結果として、過去の拙さやキッチュさにたどり着いたのかもしれない。しかし、売る側にとっては大した問題ではないのか、ただ「懐かしさ」が喧伝される。
 私自身、懐かしいという感情が先に来てしまうことには抗えない。それくらいにビデオゲームは私に根差している。だが、ノスタルジーとは特定の条件の組み合わせである、と言わんばかりの形式化には逆らっておきたい。ルール、色調や映像表現、流れる音楽、舞台設定、ストーリーといった諸要素に要約できるものなのだろうか。自分の記憶とは、わが人生のノスタルジーとはそんな簡単に解析できてしまえるものなのか?そんなはずは絶対に、ない。筋金入りの「懐かしがり」であることを認めたならば、過去の記憶を辿り、現在に「それ」がないことを証明するのみである。埋められない記憶の穴を現在から覗き込んでみれば、未来が見えるかもしれない。" -序文より

登場作品
1. Another Side of The Earth ロール・トリッピング『MOTHER2』
2. Time is the Scar 時は傷跡  『ゼノギアス』『クロノクロス』
3. Weird is Wired モニタの向こうにあるごとく『serial experiments lain』『ROOMMANIA #203』
4. Nostalgic Eden ノスタルジック・エデン『グランディア』『倫敦精霊探偵団』『オアシスロード』
5. Retromania レトロの達人 『beatmania』『popn 'n music』
6. Pulp Fiction シネマはゲームのためにある  『双界儀』『花と太陽と雨と』
7. Exodus 大脱走 『ICO』『ブレスオブファイアV ドラゴンクォーター』

Dedicated to You Sawaduki


This is the second of Suikazura's hauntological trilogy.