『Wrath』は創造的な意味で称賛を浴びたが、商業的な成果は不振というほかなかった。Electronic Arts社に販促の不備を訴えたところ、EA社は非を認めるどころかOddworld Inhabitansの買収を申し出たが、ラニングとシェリーは自分たちの赤ん坊(作品とキャラクター)を売り渡すことはできないと拒否し、自ら退路を断つことでブランドを守り抜いた。実はこの期間にも『Wrath』の兄弟ともいえる一人称視点のアクションゲーム『The Brutal Ballad of Fangus Klot』の製作を進めていたのだが、既にXBOX360という新しい環境に向けて動いていたデベロッパーがいたにもかかわらず、Oddworldは旧Xboxのエンジンでゲームを製作していた。開発環境を刷新する資金はパブリッシャー(EAやマイクロソフト)を拒否したことで底をついた。この一件が引き金となり、ソフト発売後からわずか3か月の2005年4月、ラニングとマッケナはオビスポにあるOddwolrdのスタジオの閉鎖を決断する。 失敗と未完のプロジェクト ビデオゲームからは手を引き、これまでに自分たちが培ってきた経営または創造におけるノウハウを他社と提供するフランチャイズ、彼らいうところの「マスメディア・プロパティ」になることが宣言された。ラニングの言葉によれば、ゲーム業界で学んだ人口統計学とインタラクティブ性を映画に反映させるには良い機会だったという。マスメディア・プロパティとは、おおまかに言えばプロデュースまたはコンサルのようなものだが、ラニングたちのアイデアを外注に制作させることも視野に入れていた。ゲーム制作はその道のプロに任せて、自分たちはアイデアや資金調達のためのマーケティングに回るという意思表示だ。マイクロソフト下でクリエイターとして生き続けるのは不可能だと身に沁みていたのだろう。この時点でラニングはゲームビジネスを「保守的」とジャッジしていた。 Shery : A lot of CG animated films are about talking animals. We really wanted to show that the medium of computer graphics can be just another medium to tell a story. And so, what we're doing is it's not the world of Oddworld, it's the world of the near future. It's going to be something totally different to any of the other CG-animated films that you've seen to date. 当初は1億を超える製作費が見込まれていたが、Vanguard Animationのジョン・ヘイワード・ウィリアムズは、このアイデアに感銘を受け、その3分の1の費用で映画を製作することを条件にラニングらへ提携を申し込んだ。2006年10月のGameCity内でラニングとVAの協力が発表され、翌年春には『Citizen Siege』を補強する「ゲーム」として『Wage Wars』の製作にも着手する旨もアナウンスされた。しかし、2008年のリーマンショックが世界中に与えた経済的打撃により、すべては白紙となった。ラニングは自らの子供たる作品を付け焼刃にしておきたく思いから、『Citizen Siege』を中止でなく「保留」と定め、今日まで封印し続けている。 結果から言えば、Oddworldは映画の世界を断念し、再びゲームへと舞い戻ってくる。より厳しく言うならば、その道しかなかったということだ。2009年にラニングとシェリーは、カリフォルニア州エメリービルに「Xmobb」を設立した。『Citizen Siege』でも取り上げる予定だったテーマを新しいプラットフォームまたはメディアのあり方として表現しようとしたもので、そのターゲットはずばりSNSだった。ラニングはリスナーたち相互間の信頼こそ新しい貨幣だと主張し、一つのゲーム、一つのエンターテインメントではなく、それを共有する場を作るためにXmobbという新しい知的財産を用意したと説明している。しかし、2012年の時点でラニングはXmobbの失敗をアナウンスし、またも彼の「ゲームの枠を飛び出よう」という試みは潰えた。おそらく、ほぼ同じアイデアを自分たちよりも早くかつ正確に実現したソニーの『PlayStation Home』(2008年からPS3用に展開された仮想空間サービス。アジアでのアップデートは2015年に終了している)の存在が大きかったのだろう。 Oddworld Inhabitantsがゲームの世界に戻る兆しは、2008年の時点で芽生えていた。会社はOddworldシリーズのライセンスを頑なに守り抜いたゆえパブリッシャーを失ったが、そのおかげで来るインディーズゲーム隆盛の一要素たる「自主リリース」に難なく飛び乗ることができたのだ(ここでの「インディーズゲーム」とは、個人が小売りなどの企業を介さずして独立した立場からゲームを公開できるマーケット、という意味で使っている)。コンソールと国々に流通するそれらの市場によりけりだが、共通しているのはデベロッパーが同時にパブリッシャーにもなれるプラットフォームがあって成り立つということ。PSN、XBOX LIVE ARCADE、App StoreやGoogle Playのアプリケーション、そしてSteamなど、今では簡単に思い浮かぶものも多いだろう。 So with digital distribution, all of the costs associated with distributing a physical game are non-existent as the studio "is not paying for plastic, advertising, shipping or a percentage to retailers... we're just giving it to gamers at a lower price, because we can." Under this model, the player is funding the games more than ever, with 70% of their money going directly to the developer to make more games, as opposed to the old model where 12% went to the developer and 88% went to the publisher. Oddworld Inhabitantsに「過去作のリメイクをさせてほしい」というラブコールを送ったJust Add Waterもデジタル配信を歓迎したファンの一人だ。JAWは英国発の小さなデベロッパーで、当時はATARIで発表されていたシューティングゲームを模した『グラビティ・ショット』のようなタイトルを手がけていた。ラニングは協力を申し出た彼らを審査することもかねて、『Stranger's Wrath』のHD移植を依頼した。『Wrath』がXboxでリリースされた時の売り上げは目も当てられないものだったが、当時ラニングが主張した「パブリッシャーの販促不足」を立証するように、HD版の売り上げは北米Playstation Store内のある週では首位を記録した。 『Soulstorm』は『Exoddus』のストーリーを下敷きにしているが、正確に言えば、後者の発表時に妥協して切り捨てたものを回収して本来の物語として再構成したものだった。 『Soulstorm』ではGameSpeak機能はもちろん、NPCマドカン族の行動の幅が過去最大になっている。彼らは自分で思考し、自分のタイミングでエイブに付いてきてはギミックの作動や攻撃に参加してくれるのだ。これにより、ラニングがかねてから抱いていたフラストレーション、容量や技術の都合で『レミングス』以上の動きが出来なかったことに対するそれは解消された。もう一つ、『Soulstorm』で重要な要素が「クラフト」である。落ちているアイテムを合成して新しいものを作り出すという過程は、テクノロジーで瞬時に目的を果たせるグラッコンら資本側と対立する、「メイク」の概念が強く反映されているシステムだ。ラニングは『civilization』から『Minecraft』に至る、ゼロからの創造を核とするゲームに並びたかったのだろうか?ゲーム本編でも、ビール中毒に陥ったマドカンたちを治すための処方薬もこうしたクラフトで作り出すようになっている。 『Soulstorm』はすべて自分たちがユーザーからダイレクトに得た資金と、30名ほどのスタッフだけで作られた。ラニングはこれを「我慢できる妥協」と表現している。「映画はOkが出るまでテイクを重ねられるが、ゲームは締め切りや制限に合わせて妥協しなければならない」とは彼の持論であり、こと製作に関しては、彼はなかなかのリアリストである。ラニング個人の苦難が反映されることで、Oddworldは理想主義に進む物語ではなく、絶望に潰されながらも実現できる選択肢を探していく物語としての厚みが生まれた。 Oddworld作品のテーマは一般からすれば相当ハードコアなものですが、時には浅いところまでしか触れられないこともあります。 深みはあるのですが、それを画面上で明確に表現できないという意味です。キャラクターは複合的な層を持った存在であり、それがあるからこそリアルで面白いシーンが描けるのです。 子供の頃は目につく表面的な部分にのみ目がいったけど、歳を重ねて世の中がどんなものかを知った後に振り返ってみると、そこにはもっとたくさんのものがあったと気づくような深みが、エイブ(と彼が出る作品)にはあるのです。 『Abe's Origin』インタビューより |
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