Nurse With Wound年表   随時更新・情報提供受付中。お礼には及びませんが、希望される方はお名前を協力者として記載いたします。

戻る

年(西暦) 主な出来事 補足と疑問
1970? ■スティーヴン・ステイプルトン、ウエストエンドの一角でAmon Düül『Psychedelic Underground』を発見し、ジャーマン・ロックの穴にハマる。
■同じ時期にハービー・マン『Memphis Underground』を購入。
・Amon Düül『Psychedelic Underground』は版元によってジャケットが異なるが、ステイプルトンが見つけたのはMetronomeから出たもの。
・1970年にリチャード・ブランソンがノッティングヒル130番地に後のVirgin Recordsの前身となる小さなレコード店を開く。ベジタリアンへの食事を売る傍ら、西海岸のヒッチハイク途中で得たものや、Ohrなどのジャーマン・ロックのレコードを仕入れていた。
1971-2 ■スティーヴン・ステイプルトン、兄からヒーマン・パサックを紹介される。その後、レコード店で(母親と同伴だった)ジョン・フォサーギルと出会う。レコードコレクターとして意気投合。 ・71年にオックスフォードにVirgin Recordsストアがオープン。
・72年に英アクショニストのスチュアート・ブリズリーがロンドンの「Gallery House」でパフォーマンス『And For Today, Nothing』を開催している。
1973 ■ステイプルトン16歳、Hornsey College of Artに入学するも肌に合わず退学。そのままポーランド通りにあったデザイン事務所に就職し、職人の世界へ。
■ドイツのバンドGuru Guruに手紙を出したところ、ドイツ南部のコミューンへ招待される。
・Guru Guruのヨーロッパ巡行に同伴。このころコニー・プランクのスタジオも訪れる。
1973-5? ■文通していたClusterやAeraといったバンドが英国を訪れた際、ステイプルトンらのフラットを宿にする。 ・Clusterは76年のアルバム『Sowiesoso』用のジャケットをステイプルトンに依頼したが、その絵はレコード会社によって却下された。どんな絵かは本人さえも覚えてない!
・1975年に「即興的実験芸術の雑誌」を標榜する『MUSIC』創刊。
1976 ■Pink Floyd『Animals』発売時のツアーでは鉄橋に広告用の絵を描く。 ・『Animals』ジャケットの豚の制作にも関与。
1977 ■Stranglers『No More Heroes』ジャケットに使われたプレートのカーヴィングを手がける。 ・Stranglersのメンバーとはかつて同じハイスクールに通っていたとステイプルトン(1957年生まれ)。ヒュー・コーンウェルは彼より年上だからそこにはいなかったと思われる。 ジャン=ジャック・バーネルか(1952年生まれ)、90年にバンドに加入したポール・ロバーツか(1959年生まれ)?
1978 ■3月にHenry CowらがRock In Oppositionを提唱し、同名フェスを開催。そのフライヤーをステイプルトンが手がける。
■9月に広告用として使われていた豪華スタジオ・BMSを(ある偶然から)ブッキングする。後のNurse With Woundファースト・アルバム『Chance Meeting On A Dissecting Table Of A Sewing Machine And An Umbrella』を6時間で録音。
■(年月日不明)ポストマン・ジョン(The Fallと交流のあったマンチェスターの郵便配達員)のレコード用にステイプルトンがコラージュを手がけるも未使用に終わる。
・アルバム録音時は当時のステイプルトンのガールフレンドや、後のHasting Of Malawiのメンバーもスタジオ入りしていた。
1979 ■6月に『Chance Meeting On A Dissecting Table Of A Sewing Machine And An Umbrella』500枚発売。約3カ月で売り切れる。レーベル名United Dairiesもこの時発案。■『Sounds』誌8月発売号の広告欄(有料)に広告を出す。■Virginのリチャード・ブランソンが『Chance Meeting』ジャケットを気に入り、本人から店舗への仕入れを直に希望される(※)。
■『Sounds』誌のジョン・ギルが『Chance Meeting』に「?????」の評を下す。
・『Chance Meeting』のプレスはクラシック大手で自社製プレス工場を持っていたNimbus。
『Radiopanik』インタビューより
・この年にオックスフォードにVirgin Megastoreがオープン。
1980 ■1月に2ndアルバム『To The Quiet Men From A Tiny Girl』録音のためにBMSスタジオ入り。
■3月にヒーマン・パサックがデヴィット・ヴォーハウスのアシスタントになるためNWWから離脱。
■5月に『To The Quiet Men~』を再構成した『Merzbild Schwet』を録音。この頃、オックスフォードのVirgin Megastoreにて店員だったジム・サールウェル、トレヴァー・レイディー、ロバート・ヘイらと出会う。
■Whitehouseことウィリアム・ベネットに手紙を送り、彼とも交流をはじめる。ベネットから話を聞いていたシェフィールドのIPSスタジオをサールウェルとレイディーとともにブッキング。
■United Dairies初の外部アーティストLemon Kittens『We Buy A Hammer For Daddy』、コンピレーション『Hoisting The Black Flag』リリース。
・アクショニストのルドルフ・シュワルツコグラー(1969没)の生前のパフォーマンス写真がこの年に出版。『6. Aktion, No. 69, No. 43』は『To The Quiet Men~』ジャケットの下絵となる。
・『To The Quiet Men』と『Merzbild』の録音時期については資料によってバラつきがあるが、ここでは『Insect And Individual Silenced』2007年版CDに付属のステイプルトン寄稿文に基づいた。80年6月録音と記載されている盤も多いが、これが6月発売なら時系列的には自然だが。
・1981年まではCome Organisation(そしてJGサールウェルのSelf-Immoration)の連絡宛先は北ロンドンにあるステイプルトンの実家のものが使われている
1981 ■United Dairiesが2月にLemon Kittens『Cake Beast』リリース。
■ステイプルトンは毎週金曜日の夜にIPSスタジオをブッキングするようになる。
■10月に『Insect And Individual Silenced』残り部分を録音、Linguaphone Instituteに依頼して年内にリリース。
■1月に録音されたThe Bombay Ducks『Dance Music』もこの年にリリース。
■すでにNWWを脱退したヒーマン・パサックとその仲間たちはHasting Of Malawiとしてレコードを制作。大半が破棄された。
■11月5日にWhitehouseとのスプリット『The 150 Murderous Passions』を録音。同年内にリリース。
■United DairiesからMusique Conrete『Bringing Up Baby』をリリース。
■12月発売のCome Orgオムニバス『Für Ilse Koch』に曲とアートワークを提供する。
・Linguaphone Instituteはバークシャーにあった同名の会社が所持していたプラントで、Esquireレーベルが商業的に使用して以降、外注のプレスも請け負うようになった。値段が安かったことからWhitehouseがここをよく利用した。盤の色が赤や青など色付きのものになることが多く、初期United DairiesやCome Organisationのリリースにカラーディスクが目立つのはこのせい。ステイプルトン曰く音は良くないらしい。
・『The 150 Murderous Passions』が録音された日はガイ・フォークス夜祭であり、打ち上げられた花火の音も素材になったとウィリアム・ベネットは『Anthology 1 Come Organisation Archives 1979-1981』ライナーに残している。
・『Für Ilse Koch』というタイトルは「Für Elise」(エリーゼのために)のもじりである(デヴィット・キーナン『England's Hidden Reverse』より)。
1982 ■3月にソーホーのWhiskey A Go GoでWhitehouseのギグにアンドリュー・マッケンジーとグレン・ウォーリスらとともに参加(『Live Aktion 2』に収録)。
■5月にUnited Dairiesコンピレーション『An Afflicted Man's Musica Box』発売。
■United DairiesからOperating Theatre『Rapid Eye Movements』とオムニバス『An Afflicted Man's Musica Box』をリリース。
■Funeral Dance Partyの音楽をリリースする予定だったが、先方がカセットテープを要望したために見送り。
■『Homotopy To Marie』リリース。
・Funeral Dance Partyの音源が見送られたのは、音質を重視してレコードで出すことにこだわったせい。メンバーは後にThe New Blockadersとしてレコードをリリース。
1983 ■仕事終わりにスタジオで個人の制作をしている途中でダイアナ・ロジャーソンと出会う。
■6月にカムデンで開かれたThe Equinox Festivalにライヴとしてブッキングされる。その後バーでデヴィット・チベットと出会う。
■Current 93とのスプリットカセット『Mi-Mort』発売。
■7月にThird Mindレーベルから12インチ『Ostranenie 1913』発売。チベットが初めて録音に参加。同レーベルのオムニバス『Rising From The Red Sand』にも楽曲提供。
■12月にベルギーのCrepsculeのサブレーベル「L.A.Y.L.A.H. Antirecords」から『Gyllensköld, Geijerstam and I at Rydberg's』をリリース。
■音楽ライターデヴィット・ヘンダーソンが企画したオムニバス『The Elephant Table Album』に楽曲とアートワークを提供。
■ジョン・フォサーギルが完全にステイプルトンのもとから離れる。
・The Equinoxでは実演前に客と喧嘩したせいでライヴは未遂に終わる。
・『The Elephant Table Album』に収録されたデヴィット・ジャックマン(Organum)の楽曲に感銘を受けたステイプルトンは彼に連絡をとる。
1984 ■1月にCurrent 93『Nature Unveiled』A面収録曲をステイプルトンがミックス。B面は4月とされている。アートワークも担当した。付録7インチ『No Hiding From The Blackbird / The Burial Of The Sardine』にも参加。
■6月にEP『Brained By Falling Masonry』リリース。ダイアナ・ロジャーソンが初めて参加した音源。別ミックスをカセット『Nylon Coverin' Body Smotherin'』としても発売。
■フランス勢やSemaことロバート・ヘイが参加したオムニバス『In Fractured Silence』発売。■11月にブライトンでSPKと共演し、初めてのライヴパフォーマンス。
■12月にアムステルダムとブリュッセルでCurrent 93のギグに同行、NWWとして演奏する。ステイプルトン初のコカイン体験。
■音楽ライターのデヴィット・エリオット経由でアスムス・ティーシェンスの『Formen Letzter Hausmusik』をUnited Dairiesからリリースするに至る。
・「 The Burial Of The Sardine」という題はゴヤの絵画からである。
・『Nature Unveiled』の正確な発売月は不明。
・ファンジン『Unsound』2-3/4号(表記がややこしい)では、1985年2月にCOILとCurrent 93とともに「Bar Maldoror」で演奏するという記述あり。
・『Formen Letzter Hausmusik』の録音は83年春だが、ステイプルトンはいくつか新曲を追加するように求めたと2005年再発CDライナーに記述あり。
1985 ■4月にステイプルトンとロジャーソンがドイツはアーヒェンにあるクリストフ・ヒーマン邸を訪れる。
■5月発売のL.A.Y.L.A.H.オムニバス『The Fight Is On』に参加。
■6月に『The Sylvie and Babs Hi-Fi Companion』発売。
■エドワード・カスペル『Chyekk, China Doll』やカスペルのバンド「The Legendary Pink Dots」『Asylum』に参加。カスペルのソロ『Eyes! China Doll』ジャケットも手がける。
■ドイツのDOMから出たオムニバス『Ohrenschrauben』に提供。
■8月にクリストフ・ヒーマンらがロンドンを訪れ、IPSスタジオでHNASのアルバムを録音。ステイプルトンたちがサポート。
■United Dairiesからダイアナ・ロジャーソンのソロ『The Inevitable Chrystal Belle Scrodd Record』リリース。
■同じくUDからNIHILIST SPASM BANDの『¬x~x=x』リリース。
■動物愛護目的のチャリティオムニバス『Devastate To Liberate』に参加。
■84年のライブ音源をGyllensköld, Geijerstam & Friends名義でリリース。一部ずつ異なるコラージュやペイントが施されたマニアアイテム。
■フランスの芸術家アドルフ・ヴェルフリに捧げたコンピレーション『Necropolis, Amphibians & Reptiles (The Music Of Adolf Wölfli)』へDDAAとグレアム・レヴェルらに並んで参加。
・『The Sylvie and Babs Hi-Fi Companion』初版はDMMカッティング。ドイツのレコード会社にてプレス。
・『Ohrenschrauben』は『Unsound』2-3/4号では84年11月に発売ということになっているが、予定がズレたと思われる。
・『Inevitable Chrystal Belle Scrodd~』プレスリリースには「CABARET VOLTAIREのDOUBLEVISIONレーベルから映像作品をリリース予定」との記述あり。実現はしていない模様。
・Discogsではデータを登録した人が91年の『Bar Maldoror』と混同したせいか、85年のGyllensköld, Geijerstam & Friendsのライブ盤と『Bar Maldoror』の参加者が一部ダブっている。85年に作られたブートレグ『L'Age D'Or』にも同じことがいえる。
1986 ■過去のコンピレーション提供曲をまとめた『Automating Volume One』リリース。
■Current 93の『In Menstrual Night』、ダイアナ・ロジャーソンの『Belle De Jour』リリース、HNAS『Melchior (Aufmarsch der Schlampen)』をそれぞれUDからリリース。『In Menstrual Night』録音は85年。
■オランダのTorsoからの打診で『Spiral Insana』リリース。
■プライベート用に作った音楽『A Missing Sense』をOrganumの「Rasa」とスプリットでレコード化。
■12月にチェルシーのThe Hollywood Garellyで開かれたクリス・ワリスとマリオン・トムソンのイベントにサウンド担当として出演。
・『Belle De Jour』ジャケットの口元(ロジャーソンのもの)を撮影したのはクライヴ・グラハムである。
・Current 93『In Menstrual Night』はほぼステイプルトンの作品。日本人ジャーナリスト吉田敬子の歌う「とおりゃんせ」が使用されている。
・『A Missing Sense』はロバート・アシュリーがLovely Musicからリリースしていた諸作の影響が強い。
1987 ■Organum『Submission』、Guru Guruのライヴ音源とInbetweensのセッションを収めた『Hot On Spot / Inbetween』、ロバート・ヘイ『Valentine Out Of Season』をUDからリリース。
■1月に『Drunk With The Old Man Of The Mountains』を制作。
■カセット『Scrag』をリリース。素材集。
■The Termite Queenことダイアナ・ロジャーソンとのスプリット『Crank / Wisecrack』をリリース。
■アンドリュー・マッケンジーのHafler Trioとの共作『Nurse With Wound and The Hafler Trio Hit Again!』をリリース。
■ステイプルトンとロジャーソンの間に第一子リリス誕生。
■これまでのリリースを32本のカセットに収めてカバン付で販売した『United Dairies 1979-1987』を超限定販売。
・『Drunk with~』はほぼハンドメイドなレコードで、スリーヴにもロゴや写真の印刷がない。一部ずつ異なる写像液を使用した抽象的アートワークが貼り付けられており。NWWのコレクターアイテムとしては有名。
・『Hit Again!』は『The Sylvie and Babs Hi-Fi Companion』と共通する素材が使われており、IPSスタジオブッキング時代の残滓ともいえる。
・この年の総選挙ではサッチャー率いる保守党が勝利を収めている。
・『United Dairies 1979-1987』収録分のカセットはRRRecordsのロン・レサードが現在マスターを管理しているようで、RRからは現在でも定価で購入可能。
1988 ■Enterprise Allowance Scheme制度の助成金を得るためにIdle Holeレーベルを設立。5月に録音した『Soliloquy For Lilith』を発売する。後に追加音源を収めた『 (Parts 5 and 6)』もプレス。
■MASSTISHADDHU『Shekinah』をUDからリリース。
■Current 93『Earth Covers Earth』をUDからプレス。Current 93とのスプリット12インチ『Faith's Favourites』も別レーベルYangkiから発売。
■EP『Alas the Madonna Does Not Function』リリース。
■10月にUnited DairiesからCurrent 93『Earth Covers Earth』リリース。
■ステイプルトンとロジャーソンは北ロンドンからの引っ越しを検討し、『Lilith』の売り上げを元手にアイルランド西部の土地を購入する。クリスマスごろに彼の地Cooloortaへと移住する。デヴィット・チベットも短期間だが滞在し、開墾作業に立ち会う。
■日本のレコード店Supernatural Organisation発行のファンジン『Augenblick』5号付録の7インチに楽曲提供。
■レコード店Vynyl Experienceのアラン・トレンチとコンタクトをとる。
・Enterprise Allowance Schemeは新興の企業に週単位で現金を支給する制度。
・渋谷に存在したSupernatural Organisationは88年12月にCurrent 93、Death In June、Sol Invictusらを招聘。広報にはステイプルトンも来日するように書かれていたが、当人は移住に忙しかったため話さえも聞いていない。
・『Shekinah』裏ジャケットに使われている砂漠の写真は、ジョン・ハバード氏が送ったもの。
1989 ■Sol InvictusとCurrent 93らの楽曲も収録したオムニバス『????!』に参加。
■初期音源から選出したオムニバス『The Sisters of Pataphysics』をIdle Holeからリリース。
■コンピレーション提供曲を集めた『Automating Volume Two』、『Brained』の再発12インチをそれぞれリリース。
■クリス・ワリスによる映像作品『Lumb's Sister』の撮影が始まる。部分的に映像が撮られたところで終了。
■移住を祝福した10インチ『Cooloorta Moon』をIdle Holeからリリース。
■Current 93の静岡録音に参加していたShinya Ichiharaがアイルランド留学の道程にCooloortaを訪れる。日本からの来客としては人類史上初。
■Current 93『Swastikas For Noddy』のリワーク『Crooked Crosses For The Nodding God』発売。
■オムニバス音源をまとめた『Automating Volume Two』リリース。
・『????!』に使われている写真はデヴィット・チベットが日本で知り合ったガールフレンドAki Okauchiさんによるものとクレジットされている。渡英した時に撮影されたのだろうか。
・NWWはRough Tradeが自分たちのレコードを売ってくれないことに業を煮やしていたため、レコード店Vynyl Experienceのスタッフであるアラン・トレンチが新しいビジネスパートナーとなる。
・『Lumb's Sister』は2006年のBrainwases Fesivalにて断片的なフィルムが上映された。
・Current 93一行は88年のクリスマスから翌年の夏ごろまで日本に滞在している。静岡で現地のミュージシャンたちと録音した「Horse」は翌年に出た3LPボックス『Horse / Lex Talionis / Lumbs Sister』に収録される。
・『Crooked Crosses For The Nodding God』ジャケットは家族のルビー・ワリスによる。
1990 ■『The Ladies Home Tickler』リリースと同時に、同作と初期3枚のアルバムを収録したボックスセット『Psilotripitaka』も発表。LPとCDで31部(?)限定のボンテージバッグ付エディションも。
■アラン・トレンチの提案で『Sucked Orange』リリース。
■米Shockレーベルから7インチ『Sinister Senile』リリース。
■おそらくメールアート的にやりとりした音源『Caught From Behind』がMauro Teho Teardoのもとから発表される。Ramlehも参加。
■静岡からMagick Lantern CycleのKonoriがCooloorta訪問。録音する。
■移住を祝福した10インチ『Cooloorta Moon』をIdle Holeからリリース。
■トニー・ウェイクフォードとの録音『Soresucker』発表。同時にCD化。
・Vynyl Experienceが立ち上げた配給会社「People Who Can't」との協力関係が始まる年。
・『Sucked Orange』はNWW初のCD。後に12インチも作られた。
・Konoriの録音は『Live at Bar Maldoror』収録「Hymn For Konori」に使用される。
・『Soresucker』ジャケットは友人から送られてきた写真を使用したもの。精神病院に通う人たちのレクリエーション風景を捉えたものだという。
1991 ■Stapleton/Tibet名義の『The Sadness Of Things』リリース。
■Spasmとのスプリット『Creakiness / Firepool』。
■プライベート録音を主にコンパイルした『Live At Bar Maldoror』発売。
■雑誌『 Ptolemaic Terrascope 』付録の7インチに「Red Flipper 」を提供。
■『Soliloquy For Lilith』を追加12インチの分も含めてCD化。『Six Songs for Lilith』。
■Shockからのコンピレーション『The Portable Altamont』に参加。
・Spasmは友人でありCurrent 93にも参加していたデザイナー、ジェームス・マノックスのバンド。
・『Ptolemaic Terrascope』はCurrent 93にも参加するギタリスト、ニック・サロマンたちが編集していた雑誌。サロマンはBevis Frontとして古くから活躍。
・People Who Can'tが事実上倒産したため、この年から新たに同スタッフらを中心にWorld Serpent Distributionが設立される。