Invisible Jukecbox Julian House and Jim Jupp from Ghost Box (2012)

音楽プロデューサーであるジム・ジュップ(Bellbury Poly)とグラフィック・デザイナーのジュリアン・ハウス(The Focus Group)の出会いは、SFやラヴクラフト好きの同級生としてであった。彼らが2004年に立ち上げたGhost Boxは、フォークロア、古き電子音楽、ライブラリーミュージック、ホラー番組のサウンドトラックにインスピレーションを受けるグループのためのブティックだ。パッケージングと音楽にある美学は、わずかに変化を伴いながら50年代後半から70年代前半の英国文化を呼び起こし、かの時代にあったユートピア的社会設計と教育政策の根底にある不気味な気配をほのめかす。
レーベルは彼ら二人の制作物だけではなく、The Advisory Circle, Mount Vernon Arts Lab, Roj,Pye Corner Audioといったアーティストも擁している。直近ではStudy Seriesというコラボレーション企画も始めており、Broadcast、Moon Wiring Club、Seeland and Jonny Trunkといった作家たちが名を連ねた。
ジュップは、Belbury Polyとして『The Willows』(2005)、『The Owl's Map』(2006)を含む3枚のアルバムをリリースした。最新作『The Belbury Tales』は、ゲスト参加者によるギター、ベース、ドラムによってエレクトリックな作品に仕上がっている。The Focus Groupは『Hey Let Loose Your Love』(2005)や『We Are All Pan's People』(2007)では、電子音響とサンプルによってサイケデリックかつ幻惑的なコラージュを作り上げた。ハウスはデザイン会社Introのクリエイティブパートナーとしても、Primal Scream、Stereolab、Oasis、Blood And Fireのキャンペーンを担当し、いくつかのビデオを共同で監督している。2009年にスターリングのChanging Roomsでは、Ghost Boxが描く世界をテーマにした個展「The New Spirit Happening」が開かれている。数年にわたってBroadcastのスリーブアートをデザインしており、2009年のBroadcast And The Focus Group名義『Investigate Witch Cults Of The Radio Age』で、音楽家としてもグループと共作した。 聴き手:Rob Young


New Musik “Living By Numbers” From From A To B (GTO) 1980

ジュップ(J):The Bugglesやトーマス・ドルビーみたいな80年代初期のシンセポップに聞こえる。名前が思い出せない。学生時代に、こんな感じのシンセポップ・バンドを始めた頃に耳にしていた音楽だ。裕福な友人がいて、彼はシンセサイザーを2~3台持っていた。教会のホールで練習する時は3つのモノ・シンセを鳴らして、こんな感じの音楽を演奏しているつもりだったけど、実際は全然違った。

-New Musikです。ジョージ・オーウェル好きによるディストピア的な曲でチャート入りして・・・

ハウス(H):Landscapeあたりを思い出します。当時のグループがどうやってこうした音楽に着地したのか、今日でもわからない。80年代前半のポップが持つ奇妙なランドスケープは信じがたいものがある。

-あなたたちの音楽が持つ不吉なエッジは、現代のポップに欠けている不気味さを補うものなのですか。

J:そうだと思っている。冷戦時代のことを考えさせるようなものだ。こうした音楽は社会や政治、災害などとは直接の関係なく、ディストピアを描いたSF小説のようなものだった。Ghost Boxが再現しようとしているものは、Public Information Filmsのような、冷戦下の父権的かつ不吉な政府の背景にあるものだと思っている。

H:私たちが幼い頃は『Public Information world』や、『Schools And Colleges programmes』といった番組が放映されていたはずですが、こうした奇妙な番組の面影は我々が10代の頃までは残っていたんですよ。それが80年代のパラノイアと交差していたのだと思います。しかし、シンセサイザーによる音や音楽で初めて私が恐怖を感じたのは、Radiophonic Workshopによる『Dr. Who and the Sea Devils』です。シンセサイザーが調和していない音を出して身を凍らせるようなサウンド体験はあれが初めてだったんです。それはとてもおぞましく響くものでした。『Public Information Films』にも似たようなサウンドがあって、あれは原子力発電所のように独自の性格を持った音色です。

-初めての作曲はどんなものでしたか。

J:少し後に私とジュリアンが出会い、二人で夏休みにスペースオペラ的な音楽をアコースティックギターとシンセサイザーで作った。その時のテープはなくしてしまったけど。

H:Ghost Boxの前身は、退屈な夏休みに生まれたものでした。そのきっかけは音楽ではなかった。音楽に手を出す以前はラヴクラフトやコズミック・フィクション、奇妙な映画だとか・・・。私たちの作曲上のアプローチが互いに異なっていても、題材が輪郭を描かせてくれるのです。

Krzysztof Komeda “Pushing The Car” From Cul De Sac OST (Polydor) 1966

H:[即座に]クシシュトフ・コメダの『Cul De Sac.』。

-この作品からサンプリングしていますよね。

H:してなかったと思うけど・・・こういう豊かなコードを使ったジャズっぽいライブラリーミュージックはよくサンプルにしていましたけどね。コメダの音楽は彼らしさがとても出ている。サンプルとしてのライブラリーミュージックは、ヒップホップに使うためのフックを探すといった感じで聴くものじゃないんです。フランケンシュタイン的に再構築させてフック化しないといけない。特定のコードや音色、楽器を探すというよりは、、それらを成り立たせる要素を見つけ出すということなんです。コメダの雰囲気はThe Focus Groupの音楽にも取り入れたいもので、バジル・カーチンにも同じことが言えますね。理論的にはよく理解できてないのですが、思いもよらぬ方向へとコードが進んで、ほぼ不協に入ったところをハーモニーで解決する。ジャズの才能に長けた人だったからそんなことができたんでしょう。私のようにそうでない人は、それらがフィットするところに押し込んで作っている。

Ewan MacColl/Charles Parker/Peggy Seeger “I Often Think Back…” From Radio Ballads: The Body Blow (Topic) 1999, rec 1962

H:[少し聞いてから]BBCのドキュメンタリーですか?電車ではないが・・線路上の事故か何か?

-お考えなのはラジオで放映された一連のバラードシリーズの一作目『The Ballad Of John Axon』でしょう。これは62年の五作目です。BBCによるドキュメンタリーのコーラジュは58年から8年間続きました。

H:素晴らしい。フォーリー・サウンド(註・映画やドラマにおいて、撮影時に録音された音と置き換えるために、登場人物の行動や周囲の環境に起因する音を別で録音した音、効果音)、具体音、音楽、そしてダイアローグ。実に冒険的だ。Radiophonic Workshopは音楽や効果音の研究だけではなく、発表の場だったラジオの伝統にも大きく左右されていると思います。すべての要素が完全に調和している。この時代、ラジオはイメージを描かせるものでした。Radiophonicやフォーリーの仕事は、ヴィジュアル的なインパクトを与えるサウンドを生み出していた。

-カミソリの刃でテープを念入りに削っていたことでしょう。サンプル作りにはどれくらい精を出しますか?

J:曲を再構成したり、そこにはなかった曲を作るためにサンプルを使用するのだけど、大変な作業だ。デジタルでリピッチしたり、ストレッチによって音を伸ばしたりできるけど、それも1秒単位で編集していかねばならない。私はよくセシル・シャープの古い録音を一音ずつチョップして、エリジオンができるか、リピッチできるのかといったアレンジを試している。ゆっくりとだが、新しい曲が何もないところから生まれてくるプロセスになっているんだ。

H:今でもサンプルは使うけど、すべてレコードからというわけでもない。自分が演奏したものだってサンプルにしています。コンピューターを使っても、それ以上にサンプルをチョップしたりして、丸い穴に四角い釘を入れるような作業をします。より複雑なスプライシングが必要だということですね。フィールドレコーディングを浸かったり、昔のライブラリーミュージックのレコードからドラムフィルを少し抜き出したりして、様々な音空間から一つの新しいそれを生み出すんです。

-『The Belbury Tales…. 』には実際に演奏者がいますね。

J:ギタリスト、ベーシスト、ドラマー、そして私もたくさん演奏している。3人のミュージシャンがスタジオにこもってジャムっているだけでなく、頻度こそ減っているが、コンピュータも使っている。それでもスタジオアルバムだといえるよ。過去作った中でもっとも複雑な一枚になった。

H:Broadcastと作った『Investigate Witch Cults Of The Radio Age』はトリッシュ・キーナンの歌がアンカーポイントして機能していましたが、これは手品に近いものですね。あるフレーズを続けながらもその基本的な構造を変化させ、気がついたらまったく別のものになっている。コラージュ的な思考であり、ものの繋ぎ目がわからなくなってくる。終始がきっちりしている音楽を好む人もいるように、結果のわからないそれが好きな人もいるでしょう。しかし、私たちの作品に共通しているのは、ある雰囲気があって・・・

J:Ghost Boxから出ているアーティストにも言えると思う。私たちはレーベルが何をしているのか完全に理解できて、共通のヴィジョンを持っている人としか一緒にやらない。

-今のところは英国的なものしかリリースしていませんか。

H:ロイ・スティーヴンス(Broadcast)の『The Transactional Dharma Of Roj』をリリースする時に考えられていた設定は、アンガス・マクリーズまたはアウトサイダーのヒッピーがMIT、またはコロンビアコンピュータ音楽センターの客員教授として架空の村ベルブリーに訪れるというものでした。

Boards Of Canada “Sir Prancelot Brainfire” From A Few Old Tunes (bootleg) early 1990s

J:ライブラリーミュージック?テレビのサウンドトラック?

H:最近のものでしょうか。

-想像されているよりはずっと最近のものですね。Boards of Canadaの未発初期音源です。

J:[驚く]本当に?彼らの音楽であるというのが嬉しいね。何故なら、Ghost BoxがいかにBoCの影響を受けているか、その自覚はあるから。初期のころから彼らの音楽には大きく影響を受けている。BoCと私たちとは少し方法が異なるけど、過去のものを再構築することの巨匠だよ。そこには90年代のダンス・ミュージックというコンテキストがある。

H:私はそこにPosition Normalも加えますね。彼らも曖昧かつノスタルジックじゃない方法で記憶の中のアイデアをトリガーにした音楽を作っている。私たちも彼らも、自分たちの音楽をノスタルジックだとは思っていません。それはきっかけにすぎないのです。むしろ奇妙な無意識化のセラピー的セッションといったほうがよいでしょう。自分が見落としていた諸々の些事を繋げるような、ある種の回帰のようなものです。記憶の一部でありながら触れていないもの、『サバイバル・スペシャル』や『セサミストリート』のアニメーションのような音楽なのです。私たちは英国の歴史に執着していますが、米国のそれにも同じくらい意識を向けていますよ。ヒプナゴギック(註・『WIRE』誌でデヴィット・キーナンが使用した「hypnagogic music」という表現にちなんでいる)な人々はそれを理解してくれるでしょう。

Dave & Toni Arthur “The Fairy Child” From Hearken To The Witches Rune (Trailer) 1970

H:トピック・レーベルからのレコードでしょうか?伝統的なフィールドレコーディングのスタイルで・・・

-唄っている人物はテレビにもよく出ていました。

H:トニ・アーサー?ちょうど調べてみようと思っていたところです。

J:僕らが子供の頃、彼女がテレビの前にいる子供たちに向けて歌っていたのは面白い事実だ。BBCでやってた『Play School』や『Play Away』で聞いたような声だよ。

-彼女は異教徒の民謡や魔術の儀式の歌を研究しており、これら伝統がごく最近の発明であることに気付きました。

J:民俗学や現代の伝統に目を向けてみると、過去のものとの繋がり自体が消えていることにしばしば気付ける。直近のAdvisory Circleのアルバムでロナルド・ハットンにスリーブノートを依頼した理由のひとつもそれだった。ジョン・ブルックスは、ペイガニズムや伝統的な暦のアイデアに夢中だが、その多くがニューエイジのナンセンスやデタラメに囲まれていることも理解している。だが、ロナルド・ハットンは実に面白い学者で、これらのことを注意深く調べながら、異教徒の過去は我々が思うよりもはるか先のものであり、多くの伝統的とされている行列、音楽、ダンス、衣装などはここ数世紀に生まれたものである事例を何度も発見している。

H:奇妙で超自然的な魔術や異教徒の思想を介したフォークとの関連は、『ウィッカーマン』以降である私たちの世代にとっては魅力的なものですが......。

J:フォーク・リヴァイヴァルとその時代について、私が最も興味を持ったのは、The Incredible String Bandのようなサイケデリックなものだった。でも、私たちはフォークミュージックやサイケデリックミュージックそのものよりも、そこにあるファンタジーから、より多くの知識を得ていると思う。

H:とても不純なことですが、音楽の中にある作為的な感覚は気にしたことがないんです。フォーキーで古風なものがあったとして、それはある時点の世代によって作られたものなのです。私たちが受け取っているものの多くは、古代の過去に対する誰かの記憶や解釈なのです。

-Ghost Boxは、ポップカルチャーとオカルト的なものの間の奇妙なインターゾーンだと思っています。例えば、ハマー映画の間奏曲の映像や、「Plague Of The Zombies」のシーンの撮影に使われた「Day for Night」ブルーフィルターなど、奇妙なものには力が宿っている。

J:そういう意味では、Ghost Boxは『England's Hidden Reverse』に登場する作家、COILといったグループとは違うものだ。幽霊やオカルトについて調べてはいるが、Ghost Boxにとってのそれは実在するものよりも、記憶の中のものであり、テレビのスクリーンにいるものについてなのだから。

H:テレビ番組の思い出と超自然的なものが出会う場所、ということです。

Barry Gray “Aspro” From Stand By For Adverts! (Trunk) 2011, rec 1965

H:レイモンド・スコット?レス・シャドク?奇妙なフランスのアニメーションで・・・

-いいえ、別の曲も聞いてみましょう。[Joan Gray’s Shopを再生する]

J:バリー・グレイ?広告用に書いたもの?素晴らしい。

H:エリック・シデイという作曲家がいて、彼が発明したはずであるロゴトーンは私たちも使っています。興味深いアイデアを3音に凝縮するのですが、そこには常に対位法がある。それが面白いところですね。

J:有名でないかもしれないけど、バリー・グレイの作品では『スペース1999』の劇半が特に好きだ。ファンタスティックな曲ばかりだよ。

-60年代のコマーシャルな音楽が、かなり前衛的な技術を受け入れていたことを思い出させてくれます。

H:中には趣味でないものもあるけど、私たちが興味を持つ英国の音楽の多くはエキセントリックですね。ヒース・ロビンソンとか。郊外にある家で、物置にいろんなギミックがある奇妙な感じです。アカデミックな出自の人々よりもそちらに惹かれます。Youtubeにスタンリー・アンウィンがローランド・エメットとBBCの『Parkinson』に出演している動画が上がっていますが、かつての彼はミュージカル・マシーンを自作していたのです。

J:初期の電子音楽の多くは必ずしも音楽である必要はなかった。電子音として依頼され、開発されてきたはずなんだ。洗濯機を売るためにキラキラした音が求められていた。

-ライブラリーミュージックとその他の音楽では聴き方が違うのでしょうか。表現として生み出された音が、機能的なそれになっているということですか?

H:昔はよくレコードで聴いていたし、DJ中の中継ぎとしても流していました。しかし、ライブラリーミュージックが本当に機能するのはiPodにたくさん入れては、シャッフル再生する時ですね。アルバム単位でじっくり聞くよりも感情移入がしやすい。機能的だけど他のものとも組み合わさるんです。電車で聴いてると、窓から見える建物などの風景と合わさってとても印象に残ります。

The Free Design “2002 – A Hit Song” From Heaven/Earth (1969)

H:[すぐに]Free Designです。ちょっとビターな曲だ。

-ポップ・メタ音楽の早い例ですね。自身が商業的になることの要請に抗っている。

H:とてもクレバーな仕事で、ボーカルのハーモニーが解体されている。とても美しい音楽で、何よりもすごいのはイーノック・ライトによるジャズのバッキングでしょう。

J:軽快なサンシャイン・ポップだ。軽音楽と呼ばれるものがシンプルである必要はないと思う。話題は少し離れるけど、Belbury Polyも軽やかで、ちょっとナイーヴ、しかし、あまり好きじゃない表現だけど楽しげなんだ。複雑で大変なプロセス経由で到達した結果じゃない、とは言わないが。

H:この頃はクロスオーバーがあった。The Ambrosia Singersが『Children of the Stones』に出演したり、The Swingle Singersが『Berio』に出てたり。トリスタン・キャリーとか軽いボーカルの持ち主たちが変な音楽を引っ提げていることは今日でも不思議です。エレベーター・ミュージックの類はノロノロしてて、息継ぎの暇がないから好きでないのですが、素晴らしいレコードもたくさんあります。そう思えるようになったのは90年代にStereolabが出てきたからですね。彼らはエレベーター・ミュージックをブリットポップやロック全般の世界に持ち込んだんです。

J:当時は『オースティン・パワーズ』抜きに60年代後半のものを参考にできた人もいたと思う。

-ジュリアンに聞きますが、トリッシュ・キーナンが亡くなる前にBroadcastと仕事する予定はありましたか?

H:ありました。2009年に出したアルバムよりもBroadcast側に寄せた内容にして、たくさんのマテリアルやトリッシュの声を録音したけど・・・。ジェームスとは話し合って、いくつかをひとまとめにしようと考えています。『Witch Cult』を製作中は良い感じでしたよ。互いに自然に協力していた。週末にハンガーフォードで議論し合い、自動書記的なプロセスによってトリッシュの歌が出来た。これらをコラージュ的にまとめたのです。

-他にコラボレーションしてみようと考えてる作家はいますか。

J:いくつか予定がある。私はジョン・ブルックスやジョン・フォックスたちと何かやるつもりだ。コラボレーションの場としてはStudy Seriesが最適だろう。Ghost Boxのリリースとしてふさわしいかはわからないけど、僕の好きな人たちと仕事をする、副業のような役割を果たしているんだ。

Bearns & Dexter “Quasars” From The Golden Voyage Vol 1 (private pressing) 1977

J:熱帯雨林みたいだ。

H:ニューエイジの何か?マザー・マラードではない・・・?

-『Golden Voyage』です。オブスキュアな米国のニューエイジ音楽です。

H:何年も前にレコードを買ったやつだ。雑誌でも紹介しました。10年前に買ったものではもっとも奇妙な一枚だったが、何よりもジャケットに惹かれた。

-現代の作家たちではニューエイジのアイデアを再利用している人も多いです。何が魅力なのでしょうか。

H:私の場合は今まで考えなかったことに気付かせてくれることですね。風鈴のきらめいた質感は、不思議なスケールとモードに由来します。安っぽく聞こえますが、水鉢やチベットのお椀を鳴らすことと繋がっている。その奇妙なバイブレーションや、音楽を好きになるためには信じる心が必要になるところが興味深い。『アラン・パートリッジ』シリーズのあるエピソードでは、アランが自作のリラクゼーション用テープを聴いていました。何かと共に(別の次元へ)ゆく、という感覚がそこにはあるのです。

J:ジョン・ケージやディープ・リスニングの録音、禅の思想などに基づくスピリチュアルな音楽は、ニューエイジ的なものとはかけ離れている。

H:多くはラ・モンテ・ヤングと永久劇場との繋がりがあって、キーボードのプリセットを押すほどに技術的には拙い人たちだった。だが、東洋の音階を学び、ある周波数がもたらす振動に癒しの効果があると信じて、熱心に勉強していたんです。ある意味では、20世紀初頭の秘教的なもの、つまりヨーロッパの奇妙な思考体系の延長線上に存在している。

-「不安」とは英国民俗の記憶の深層にあるものだと思いますか。

J:先ほども言ったように、オカルトのアイデアにはあまり詳しくない。Ghost Boxの世界はオカルトよりも「不安」を探求しているといえる。頭の中にあるフィクショナルな空間にもリアリティはあるけど、そこにアクセスする術はない。だからフィクションや音楽を通してそれに繋がるんだ。ローブやお香ではなく、これらテレビや音楽のイメージを通してその世界に入っていく。

-Belburyという架空の村がライナーノーツに登場しますが、あなたの音楽はそこで奏でられているということですか。

J:フィクションであろうとも村の様子がどんなものか想像できるようになってきた。だからロード・オブ・ザ・リング』のように、地図にできてしまう段階にはならないことを願ってるよ。要は一つの世界を作り上げているということ。時系列はなく、すべてが一度に進行しいる。1958年から1978年までのすべてが前後上下左右に行ったり来たりしている。それが村の特徴だ。

-なぜ78年までなのですか。

H:そこで環境(ランドスケープ)が変わったからです。戦後のセンシティブな感覚、Radiophonic Workshopが出てきたようなある種の左派的なユートピア思想はそこで切り捨てられた。職人ではなく、市場主義者が台頭してきたんです。「こんなことやってないで、もっとお金を稼ぐことが大事なんだ」と。

J:明らかにサッチャーが原因だった。この時期はパンクに限らず、世界をシフトさせる出来事が同時に起こった。デジタル技術の夜明けであり、技術が進歩したことでテレビの表現、写真、映像のすべてが変わった。

H:80年代もGhost Boxの範疇にはなると思います。初期の8ビット・コンピューター・ゲームの音楽は、今でもGhost Boxになじむだろうから。ノスタルジーは時代によって移り変わるものではないとも思います。たとえば我々はFestival of Britainを参照していますが、あれは私が生まれる16年前の番組ですから。時代ではなく、あるアイデアに対するノスタルジーがあるのです。

James Ferraro “Palm Trees, Wi-Fi And Dream Sushi” From Far Side Virtual (Hippos In Tanks) 2011

H:ジェームス・フェラーロ?『WIRE』のアルバム・オブ・ザ・イヤーにも選ばれた『Far Side Virtual』の曲ですね。これが何なのか、今でも理解できていません。ピザ・エクスプレスとかの変な企業広告映像みたいだ。昔風ではなく、iPadの中に入ってるものを壊れた鏡で映したようなところが気に入っています。これはジェフ・クーンズに捧げるコラージュに聞こえる。かつて流行した玩具、過度に光るように加工された料理の写真、超現実的な空間・・・。

-あなたがたの創作物には過去が満ち満ちていますが、この作品のように現代と関連付けようと考えたことはありますか。

H:フェラーロのやり方はそれを昔のように聞かせるのが面白いんです。今起きていることを歴史のようにしてしまう。我々にはできなかったことです。現代の世界へと入っていく切り口が見つからないから。

J:ある楽器や音楽のスタイルを極めることは、無限のバリエーションや視野へと繋がる。それを気にしない人には閉鎖的に見えるし、表現するにあたって使う音のパレットが限られてしまうかもしれない。でも、探検するフィールドに限りがないということだけで充分なんだ。私たちは現代の世界と積極的に関わる必要性を持っていないが、それを逃避主義だとは思ってない。

H:奇妙な場所や古いメディアについての記憶を追求することで、何かが映し出されるのです。口で説明するようなことではないですが、自分たちがやっていることは、今生きているハイパー資本主義的な世界と結びついている。すべてがインスタントなYoutube時代の中で、我々は半分だけになっている記憶、消去されて埋めることができずにいるその断片をテーマにしているのです。

(了)


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