わたくしのダンジョン・シンセ -『DUNGEON SYNTH: The Rebirth of a Legend』から『Music for Save Rooms 1 & 2』まで-

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2022年にCult Never Diesから発行されたラシアン・アキモフ『DUNGEON SYNTH: The Rebirth of a Legend』は、ダンジョン・シンセ・シーンの中心人物たちのインタビューを収録している。ダンジョン・シンセとは、名の通りファンタジーの世界におけるダンジョン(洞窟、迷宮、遺跡、神殿など)をモチーフにした音楽ジャンルである。音楽性としては概してビートを持たず、古いシンセサイザーによろドローンと古楽器風の音が主体だ。ニューエイジ的な官能はなく、むしろ荒涼としているが作曲者やリスナーはそこでヒロイックな孤独に浸る。暗さと寒さに穏やかさを見出す北東欧的なロマンティシズムに支えられた音楽ともいえる。先に述べたファンタジーの世界とは、有名どころではJ.R.R.トールキンが『ホビット』や『指輪物語』として再創造したもフィクションから、そのトールキンがインスピレーションを受けていたスカンディナヴィア〜ゲルマン(トールキンのルーツ)の神話などに至る。これらは多くの童話やTRPGの世界観の礎となっている。ダンジョン・シンセは、作り手が幼少期に見聞きしていたフィクションとそれを受け止めていた過去そのものを再訪し、新たに作り上げた結果である。少なくとも『The Rebirth of a Legend』に登場するダンジョン・シンセの作家たちも、多くがこうした個人的経験から音楽やアートワークを作っている。そして彼らはみなブラックメタルの世界の住人であった。内省し、物事を宿命的といえるほどに考えすぎるブラックメタルの美学が、ちょっとばかり長閑な形で表現された。

先駆けは自らを「Dark Dungeon Music」と形容したMortiisの『The Song Of A Long Forgotten Ghost』、Equitant『The Circle of Agurak』(ともに1993年)、Gothmog『Medieval Journeys』(1998)、そしてBurzumが服役中に限られた機材(持ち込みが許可されたシンセとテープレコーダーのみ)で録音した『Dauði Baldrs』(1997)といった作品だ。まだサブスクリプションどころかMyspaceのような共有プラットフォームが存在しない時代ゆえ、これらがリリースされたその日からリスナーたちへ伝播したと考えるのは難しく、すべてが同じモノサシで測られていたかというと怪しいだろう。逆にいえば今日簡単に過去へとアクセスできるようになったからこそ、ダンジョン・シンセという新たなモノサシ、文脈が浸透したともいえる。実際、上に挙げたMortiisやEquitantといった先達は当時ダンジョン・シンセと呼ばれていなかった。文化としてのブラックメタルが内包する世界観は常々音楽で表現されてきたが、インストゥルメンタルかつ激しさを伴わない、アンビエント的とすらいえる様式が主流になることはなかった。少なくとも90年代前半までは圧倒的少数派であり、だからこそMortiisらの先駆的表現が嚆矢として再評価されているのだろう。
パイオニアもそのフォロワーであるダンジョン・シンセのアーティストも、影響元としてTangerine Dreamやクラウス・シュルツらシンセサイザー主体のジャーマン・ロックをたびたび挙げているが、レイヴとともにあったアンビエント(またはアンビエント・ハウス)がジャーマン・ロック含めたプログレの再解釈をしていたのとはまた別の動きである。西欧レイヴァーたちにとってクラブはCrypt(地下聖堂)だったかもしれないが、東や北中心のダンジョン・シンセにおけるCryptとは死者だけが横たわる納骨堂、ベッドルームまたは牢獄中で想像される彼の場所で鳴っているBGMなのだ。フェスティバルなど表立った場所で披露されるほどのポピュラリティこそ得ないが、地下水脈的な繋がりを維持し続けていたこの種の音楽は、アンドリュー・ヴェルダが運営するブログ「Dungeon Synth Blog」が2011年3月に最初の記事を更新してから、意識的にダンジョン・シンセと呼ばれはじめ、歴史が直線的に紡がれていく。ヴェルダによる初投稿曰く「ダンジョン・シンセを聴くとき、あなたは自らの意思で墓場にいるのだ。ロウソクを片手に、俗世の人々が避ける地についてのささやかな秘密を記した奇妙な書物を読むために」。同好の士が集まる(クローズドな)場にふさわしい宣言である。

ダンジョン・シンセという呼称の初出を検証することは非常に難しいが、Bandcampなどのプラットフォーム上のタグとともに共有される以前、これらはダーク・アンビエントや、ダークメディヴァル(medieval:中世)という形容をされていた。明確にジャンルとして見分けられるようになったのは、つまりリスナーが独自のコミュニティを築きはじめたのは先にも述べたDungeon Synth BlogやFacebook上のグループ(2012年設立)といった拠点が出来上がってからのことである。
各種プラットフォームが一般化する以前から、ダンジョン・シンセはインターネット上で拡散していたが、その現場の多くはmp3ブログといったアンダーグラウンドな領域だった。ブログあるいはファイルシェアサービスで超限定リリースだった音源が瞬く間にシェアされていく。この広がり方はヒプナゴギック・ポップ、ニューエイジ・リバイバル、Vaporwave、さらに2000年代中頃の第一世代を経た英中心のHauntologyとも重なる。主にヒプナゴギック・ポップやニューエイジ・リバイバルと同期していたカセットテープの復権は、少し遅れてダンジョン・シンセにも訪れた。それを象徴するのがカンリス・ノックス(Rowenとして音源も発表している)によるHollow Mythsレーベルで、ノックス自身も『The Rebirth of a Legend』のインタビューで「2016年から2019年はシーンの黄金期だった」と述懐している。2016年にFacebookのダンジョン・シンセグループ管理人になったノックスは、同年にHollow Mythsをオープンし、パイオニアたるEquitant『The Great Lands Of Minas Ithil (City Of Isildur)』の再発を皮切りに、大量のカセットを少部数リリースした。
カセットテープ・リバイバルとダンジョン・シンセの関係は、ブラックメタルのインスピレーション源にも含まれるインダストリアル・ミュージックを思い出させてくれる。70年代後半にThrobbing Gristleが提唱した同ジャンルは、パンクの流れに乗ったこともあって、カセットテープを大々的に採用していた。アートワークの画一的な使用から音楽面に至るまで大量のクリシェを生みはしたが、表現者側へ参加するハードルを下げたという点ではインダストリアル・ミュージックとダンジョン・シンセは繋がっている。クーズは2020年あたりからの細分化が進むダンジョン・シンセの複雑さに混乱しながら、それを世代交代として肯定的に受け入れている。だが、インタビューにて彼は「あらゆる音楽ジャンルには創始者とそれに続く者がいる。ただ一つ問題なのは、歴史を書き換えようとする者たちだ」と語っており、ダンジョン・シンセという語が生まれるよりも前の時代のアーカイヴがHollow Mythsの目的であったことを暗に示していた。

興味深いことに、ヒプナゴギック・ポップやHauntology(この中にはケルト文化やトールキン的神話をモチーフにしたものもあるが、これはまた別の物語である)といったムーブメントも、幼少期の記憶、ぼやけたまま保存されている個人の体験を音楽やアートワークとして再創造するものであった。そのサンプルはCMやビデオゲームの音楽であり、後者はブラックメタルひいては元祖ダンジョン・シンセ世代がほぼ経過してこなかったであろう文化である(彼らにとってのゲームとはTRPGや、コモドール64はじめとする「コンピューターゲーム」と呼ばれていたものなのだ)。ファミコンから進んで表現力の上がったハードたち、たとえばスーパーファミコン、プレイステーション、ニンテンドー64といった90年代のコンシューマー・ビデオゲームこそは、ダンジョン・シンセ最盛期たる2010年代の作家たちにとっての童話ないし冒険小説の舞台であった。『ゼルダの伝説』はアイコンの一つとみなされており、特に64時代のシリーズから着想を得たダンジョン・シンセは多い。たとえばオムニバス『Scoring the Sky』。1曲目を提供しているForgotten Ghostなるアーティスト名は、まさにMortiisのアルバムにちなんだものだろう。ところどころリズムが入ったり、ドローンよりもメロディに比重を置いた曲もあったりして、古典的なダンジョン・シンセらしからぬ瞬間の多さが世代交代という響きをリアルなものにする。

ここからは私見がクドい。
歴史的事実を追いかけつつダンジョン・シンセの迷宮に改めて踏み入った。そして踏み入れるたびに筆者が口にするのは「思ってたんと違う」であることを告白したい。まず、Dungeon Synthという蠱惑的な文字列から連想していたのは、まさにロールプレイングゲーム(RPG)に出てくるダンジョンで流れてそうな音楽である。いや、確かにそれはそうなのだ。だが、期待していたのは『指輪物語』的ファンタジーではなく、あくまでビデオゲームの「音楽」、つまり実際にモデルとなるゲーム音楽があり、それを想起させるようなものである。これは「JRPG的」と換言してもよい。『タクティクスオウガ』の死者の宮殿のテーマまたは屍術師ニバス戦で流れるアレ(「Blasphemous Experiment」)、『大貝獣物語』や『レナスⅡ』のフィールド(ダンジョンじゃないけど)、『ファイナルファンタジーⅥ』の「魔大陸」、ひょっとしたら『RPGツクール』シリーズでサンプルとして用意されていた「ダンジョン1」「ダンジョン2」「雪山」という味気ない名前で登録されているアレらのような・・・明らかなエキゾティシズムをも内包した、想像上の別世界を描いたJRPGの音楽が聞けるのだと思っていた。当時は今のように作曲者を売りにすることも少なく、無銘のパーツとして音楽があった。音楽とそれを包括しての体験としてのゲームの前に作家性などは不要だった(そもそも今のように調べようがなかっただけ、ともいえるが)。なんにせよ、これらJRPGの音楽は筆者にとってのライブラリ音楽またはスペースエイジ・バチェラー・パッド・ミュージックである。この一方的な期待に対して、ブラックメタルの異端的派生たるダンジョン・シンセは自分が入る余地がないほどに堅牢であった。確かに作家性を見出すのが困難なジャンルではある。だが、それは限定的なテーマを似通った音色やアートワークのみで表現した結果、個性が埋没することを意味する。

こうしてダンジョン・シンセへの片思いと離脱は過去に何回も繰り返された。しかし、昨年末にこのジャンルへの認識、ひいてはわが聴取の姿勢をわずかに刷新してくれる作品に出会った。フルート奏者John Also Bennetによる『Music for Save Rooms 1 & 2』(2024)である。ビデオゲームに出てくる「セーブルーム」(もっぱらセーブポイントと呼んでいたのでセーブルームという呼称自体はしたことがないのだけれど、英語圏ではよく使われている)がテーマのアンビエント・アルバムで、1曲目がいきなり「Still Inside the Deku Tree 」すなわち『ゼルダの伝説』である。
よろすずさんが本作を紹介する際に、セーブルームという題材から過去に筆者の書いた文章を引き合いに出してくださったのが知るきっかけだった。記事の中では中年丸出しの思い出を垂れ流してるだけでまあまあ恥ずかしいが、それはそれとしてこのアルバムとの出会いは大きい。当該の記事内で触れたセーブポイント的空間はもちろん、上でさんざんわめいてきた「わたくしのダンジョン・シンセ」の条件をアップデートし得るものだからだ。エキゾチックな楽器や音階を使っているわけでもない、そのミニマリスティックな音楽にもかかわらず、である。

『ゼルダ』をモチーフにするだけでなく、使用機材にローランドJV-1080の名が挙がっている。ダンジョン・シンセ黄金時代のアーティストの一人Old Towerは、Mortiisが古くから使っていたという理由で同シリーズのJV-30を重宝しており、ここに新旧ダンジョン・シンセと『Music for Save Rooms 1 & 2』の間に線が引かれた思いだ。だが、『Music for Save Rooms 1 & 2』にブラックメタル的ダンジョン・シンセを感じるのかというと首肯できない。それは目に耳に明らかだが、この違いから新たな「わたくしのダンジョン・シンセ」像を浮かび上がってきた。
まずパッド音とメロディ未満のモチーフがループ(循環)する構造にダンジョンを感じる。音楽それ自体ではなく、仕組みにである。ハードのスペックや容量に限りがあった時代のゲームは、曲がループするようにプログラミングされているし、曲自体もそういった制約を念頭に書かれている(ゆえに音源化された際はフェードアウトして終わるものが多い)。作曲と別に、「音を鳴らす係」がいるといえば早いか、自然だが「終わらない演奏」がされるのである(これに関しては和田信一郎さんが『AOR -Addressing Oriented Retro- FEECO magazine extra issue』に寄稿してくださった文章とも通じるのでご一読を)。
『Music for Save Rooms 1 & 2』におけるループは、響きの循環である。明快なメロディや起承転結と呼べる展開を持っておらず、減衰していくかと思えばまた響いてくる。これだけではセーブルームとして、ゲーム音楽として成り立たぬといわんばかりに用意されたのが「Power Plant」や「Computer Terminal」といった施設の名を冠した曲名である。これこそ『RPGツクール』のサンプルBGM的なセッティングではないか、と喜ぶと同時に気付かされたことがひとつ。筆者がダンジョン・シンセに求めていたのも、いかにもな旋律や楽器の音色によるダンジョン、過去の追体験を誘発する音楽性だった。元来ブラックメタル的ダンジョン・シンセは、荒涼した地平にたたずんだり、迷宮を探索するといった(ダウナーな)シチュエーションをイメージしていた。それは、塗り絵のように既にあった枠組みにリアリティを与えるものだ。ノスタルジーは再生産の域を出ていなかった。
『Music for Save Rooms 1 & 2』は、そのミニマルだが芳醇な響きによって、ループ構造あってのゲーム音楽だということを告げた。最低限のお題、すなわち曲名のみを提示することで、こちらに絵コンテ段階から舞台や設定を考えさせてくれる。それはゲームを遊んでいた幼少時代へ逃避せんとする悦びとは違う、現在の自分の想像力を喚起するものであった。昨今のレアグルーヴ的な再評価ではなく、リスナーが音楽の聴こえ方を変えるモンド・ミュージック的聴取によって、ゲーム音楽という定義が自分の中で「はじめて」問われたのだった。

※最後に余計な一節。この『Music for Save Rooms 1 & 2』、『ゼルダの伝説』をモチーフにしてはいるが、『バイオハザード』の倉庫(タイプライターとかアイテムボックスがある部屋。英語圏ではsave roomと呼ばれている)や『ICO』の全体的なムードが念頭にあった気がしてならない。特に後者のパッケージが示すキリコの絵画の中で鳴っている音楽だといわれても首肯してしまいそうである・・・こんな風に参照元を特定しようとするうちは保守的なダンジョン・シンセ(ゲーム音楽)リスナーか?ま、ノスタルジーが欲しいなら、もうダイレクトに昔のゲームやるしぃ。(進歩なし)

(26.1/13)

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