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先日逝去した紀田順一郎も積極的に紹介してきたゴーストストーリー(日本でいうなら怪奇小説または幻想文学)の大家が一人、モンダギュー・ロード・ジェイムズ(MRジェイムズ表記が一般的)は、Hauntology(憑在論)というトピックを語る上でたびたび引っ張り出される。音楽ジャーナリズムでは、マーク・フィッシャーによるBurialのインタビュー内でジェイムズの『Oh Whistle and I'll Come to You, My Lad』が言及されたこと、あるいはジェイムズとブライアン・イーノ『On Land』についての論考が記憶に新しい。ジェイムズならびにブラックウッドやマッケンらほぼ同時代の作家たちが、文化論を介した憑在論の説明に有効な補強材として用いられているのは事実である。そこには古くから「異物」を鬼や霊として例える西欧的アレゴリーが関係しているはずだ。1850年にヘレン・マクファーレンが『共産党宣言』を訳する際、書き出しの「ヨーロッパを幽霊が徘徊する」では、幽霊にあたるドイツ語「gespenst」が「hobgoblin」に置き換えられた。超自然的な怪異たちは警句として何度も「人の手によって」蘇ってくる。 イギリス含めたブリテン諸島各地方は、危機に際して過去に立ち返る傾向が強い。それはストーンヘンジやケルト時代の遺跡など、先祖または先住民の痕跡がはっきりと残っているからである。食器など日常の一部もまた古いものが紛れ込んでいる。チャリティショップや蚤の市で出会う品々は時としてタイムカプセルのように過去を想像させるが、これは日本にも通じる話ではなかろうか。 『笛吹かば現れん』は、形而上学的なものを認めない存在論者ことパーキンズ教授が、休暇先のサフォーク州海辺の街フェリクストーをモデルにしたと思しき小村で古代の呪いに脅かされる。書き出しにはいきなり存在論(ontography)の文字が躍るが、フィッシャーがジャック・デリダからHauntologyというタームに触れた時、この小説を思い出したと勘ぐってしまうのは仕方のないことである。 英国ではクリスマスにゴーストストーリーを子供に読み聞かせるのが通俗であり、第二次大戦後は、その語り部が暖炉の前で物語を音読する両親たちからテレビに移った。1954年にBBCがクリスマス用の特番として『オールベリックの貼雑帖』と『銅版画』を制作して以降、ことあるごとにジェイムズの小説は映像化されるようになった。 Folklore Tapesはデボンやダートムーア、ランカシャー、その他もろもろのブリテン諸島郊外の伝承を記録し、音楽として保存する重要なレーベルだ。共同設立者であるイアン・ハンバーストーンは個人で『笛吹かば現れん』と『A Warning To The Curious』のサウンドトラックを制作している。Folklore Tapesのリリース全般にいえるのが、現地のフィールドレコーディングとスタジオで録音した音の混合である(Ghost Box RecordsのThe Belbury Polyらもほぼ同じアプローチである)。アナログとデジタルが融解することで表された「古さ」は、必ずしも時系列的な意味でのそれに着地することなく、脚色された記憶のように新しい時間として吐き出される。古代ローマやケルトの時代の骨董品が近代化した家に持ち帰られるように、異なる時間がコラージュされる体験としての憑在論がここにはある。 マイケル・プレイターのThe Northern Lighthouse Boardは、その名前からウィジャ板とBoards Of Canadaの両方にちなんでいると思われる。『フォックス姉妹」(19世紀アメリカで交霊術ができることから有名になった)といった曲名からもモロだが、ここでもジェイムズはインスピレーションとして採用されている。2023年の『An Anthology』では、『After Dark in the Playing Fields』(紀田順一郎訳は「公園夜景」)と、おそらくは『The Ash of Tree』(「とねりこの木」)にちなんだ「The Ash Tree Rite」が確認できる。音楽は全編シンセによるドローンで、単体では退屈でしかない。そこに光彩、いや光と陰を見つけ出してイメージを完成させるために、ジェイムズの小説および憑在論というコンテキストがある。 そして2025年にリリースされていたのが、上述のドラマ版『笛吹かば現れん』へのサウンドトラックとして録音されたDeath And Vanillaの新譜である。ほぼ環境音くらいしかなかったドラマ版といっても、ちょっと賑やかすぎる内容だが、ジェイムズが今日でも霊感を与え続ける(あるいは身に宿しているそれを思い出させる)実例として見逃せない。 『Electric Eden』著者のロブ・ヤングは、同書の執筆が終わってから、よりキッチュな憑在論の領域を開拓、いや再訪した。それが60年代から80年代初頭にかけての英国テレビ番組および映画である。「見たいものが選べる」Youtube時代と違い、団らん中の居間に入り込んでくるゴーストストーリーは、交通事故乃至呪いの儀式を目撃してしまったようにショッキングな体験をもたらしたのである。筆者はヤングと国も世代も違うため、追体験的なものは一切できないが、それゆえに古き奇妙なブリテンへの憧憬と疑問は新鮮さを失わない。 (25.11/8) |
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