MRジェイムズとHauntology(マーク・フィッシャー以外)

先日逝去した紀田順一郎も積極的に紹介してきたゴーストストーリー(日本でいうなら怪奇小説または幻想文学)の大家が一人、モンダギュー・ロード・ジェイムズ(MRジェイムズ表記が一般的)は、Hauntology(憑在論)というトピックを語る上でたびたび引っ張り出される。音楽ジャーナリズムでは、マーク・フィッシャーによるBurialのインタビュー内でジェイムズの『Oh Whistle and I'll Come to You, My Lad』が言及されたこと、あるいはジェイムズとブライアン・イーノ『On Land』についての論考が記憶に新しい。ジェイムズならびにブラックウッドやマッケンらほぼ同時代の作家たちが、文化論を介した憑在論の説明に有効な補強材として用いられているのは事実である。そこには古くから「異物」を鬼や霊として例える西欧的アレゴリーが関係しているはずだ。1850年にヘレン・マクファーレンが『共産党宣言』を訳する際、書き出しの「ヨーロッパを幽霊が徘徊する」では、幽霊にあたるドイツ語「gespenst」が「hobgoblin」に置き換えられた。超自然的な怪異たちは警句として何度も「人の手によって」蘇ってくる。
この記事では日本の音楽ジャーナリズムではあまり見向かれない、マーク・フィッシャーとBurial以外のレンズからジェイムズと憑在論の繋がりを書いてみたい。なお、これ以降『Oh Whistle and I'll Come to You, My Lad』は、上述のインタビュー邦訳時に採用されていた紀田順一郎訳による「笛吹かば現れん」として表記する。

イギリス含めたブリテン諸島各地方は、危機に際して過去に立ち返る傾向が強い。それはストーンヘンジやケルト時代の遺跡など、先祖または先住民の痕跡がはっきりと残っているからである。食器など日常の一部もまた古いものが紛れ込んでいる。チャリティショップや蚤の市で出会う品々は時としてタイムカプセルのように過去を想像させるが、これは日本にも通じる話ではなかろうか。
The Strawbsのライブアルバム『The Antique Suite』(1970年。日本盤邦題は「骨董品」)のジャケットに敷き詰められた陶器や古楽器たちは、そうした本能的ノスタルジアを象徴する。そして古物蒐集家がよく主人公になるジェイムズの小説は、過去への意識そのものが物語に置換されている。そもそも初期の作品集の題が『Ghost Stories of an Antiquary』(1904)であった。紀田順一郎はそんなジェイムズのタイムレスな怪奇を「時代をこえて生き続ける強固な安定感のようなもの」と呼んでいる。

『笛吹かば現れん』は、形而上学的なものを認めない存在論者ことパーキンズ教授が、休暇先のサフォーク州海辺の街フェリクストーをモデルにしたと思しき小村で古代の呪いに脅かされる。書き出しにはいきなり存在論(ontography)の文字が躍るが、フィッシャーがジャック・デリダからHauntologyというタームに触れた時、この小説を思い出したと勘ぐってしまうのは仕方のないことである。
原作小説以上に憑在論的表現者へ影響を与えたのは、68年5月に放映されたジョナサン・ミラー(66年の『不思議の国のアリス』の監督も手掛けた劇作家)によるドラマ版である。映像が伝えるぞっとするあるいは奇妙な感覚はフィッシャーの論考を読んでいただくとして、パーキンズ教授が古代の笛を見つけて拾った時につぶやく「Finders Keepers」(本編の文脈をくめば「見つけたからにはいただいておこう」か?)は、好奇心と驕りというゴーストストーリーの典型的なフックである。英国から東欧、果ては日本の知られざるサントラを中心に復刻するレーベルFinders Keepersの名前は、これに由来するものだと筆者は思っている。

英国ではクリスマスにゴーストストーリーを子供に読み聞かせるのが通俗であり、第二次大戦後は、その語り部が暖炉の前で物語を音読する両親たちからテレビに移った。1954年にBBCがクリスマス用の特番として『オールベリックの貼雑帖』と『銅版画』を制作して以降、ことあるごとにジェイムズの小説は映像化されるようになった。
72年のクリスマスイブに放映された『A Warning To The Curious』(「猟奇への戒め」)は、『笛吹かば現れん』よりも直接的なスリルを与える。これもまた古代の神具(宝冠)を掘り起こした男が呪いによって絶命するプロットだった。しかし、原作では掘り起こした当人だけが死亡する展開だったのが、ドラマ版ではその協力者にも呪いが「どこまでも追いかけてくる」ことを暗示した結末になっている。『笛吹かば現れん』よりもこちらの方が、原作もドラマもぞっとする。もっと知られてもよいと思うけど。

Folklore Tapesはデボンやダートムーア、ランカシャー、その他もろもろのブリテン諸島郊外の伝承を記録し、音楽として保存する重要なレーベルだ。共同設立者であるイアン・ハンバーストーンは個人で『笛吹かば現れん』と『A Warning To The Curious』のサウンドトラックを制作している。Folklore Tapesのリリース全般にいえるのが、現地のフィールドレコーディングとスタジオで録音した音の混合である(Ghost Box RecordsのThe Belbury Polyらもほぼ同じアプローチである)。アナログとデジタルが融解することで表された「古さ」は、必ずしも時系列的な意味でのそれに着地することなく、脚色された記憶のように新しい時間として吐き出される。古代ローマやケルトの時代の骨董品が近代化した家に持ち帰られるように、異なる時間がコラージュされる体験としての憑在論がここにはある。

マイケル・プレイターのThe Northern Lighthouse Boardは、その名前からウィジャ板とBoards Of Canadaの両方にちなんでいると思われる。『フォックス姉妹」(19世紀アメリカで交霊術ができることから有名になった)といった曲名からもモロだが、ここでもジェイムズはインスピレーションとして採用されている。2023年の『An Anthology』では、『After Dark in the Playing Fields』(紀田順一郎訳は「公園夜景」)と、おそらくは『The Ash of Tree』(「とねりこの木」)にちなんだ「The Ash Tree Rite」が確認できる。音楽は全編シンセによるドローンで、単体では退屈でしかない。そこに光彩、いや光と陰を見つけ出してイメージを完成させるために、ジェイムズの小説および憑在論というコンテキストがある。

そして2025年にリリースされていたのが、上述のドラマ版『笛吹かば現れん』へのサウンドトラックとして録音されたDeath And Vanillaの新譜である。ほぼ環境音くらいしかなかったドラマ版といっても、ちょっと賑やかすぎる内容だが、ジェイムズが今日でも霊感を与え続ける(あるいは身に宿しているそれを思い出させる)実例として見逃せない。

『Electric Eden』著者のロブ・ヤングは、同書の執筆が終わってから、よりキッチュな憑在論の領域を開拓、いや再訪した。それが60年代から80年代初頭にかけての英国テレビ番組および映画である。「見たいものが選べる」Youtube時代と違い、団らん中の居間に入り込んでくるゴーストストーリーは、交通事故乃至呪いの儀式を目撃してしまったようにショッキングな体験をもたらしたのである。筆者はヤングと国も世代も違うため、追体験的なものは一切できないが、それゆえに古き奇妙なブリテンへの憧憬と疑問は新鮮さを失わない。

(25.11/8)

戻る

面白かったらサポート