Michael Cashmoreの帰還と変身

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マイケル・キャシュモアが自らについて話す機会はそう多くない。30年以上のキャリアにもかかわらず、彼が単独でステージに立つようになったのはここ3年のことである。2010年代前半から突然身を潜めた彼が再び世に姿を現したのが2017年。かつてのマイケル・キャシュモアを知る人々はその変化に少なからず驚いたことだろう。讃美歌を書くようになったニック・ドレイクとでも形容したくなる男が突如として電子音楽に開眼していたのである。それも一度きりの思い付きではなく、今日までそれは続けられている。

キャシュモアのキャリアで一番知られているのはデヴィット・チベット率いるCurrent 93だろう。84年にスタートしたC93はその終末思想的なコンセプトを(演奏ができないこともあり)ノイズに翻訳していたが、やがてフォークの型を取り入れて「アポカリプティック・フォーク」なるスタイルに結実させた。その進化に大きく貢献していたのが他ならぬキャシュモアであり、彼は90年代頭から20年近くに渡って主な作曲やアレンジを務めていた。
数多のアルバムから例を挙げるのは少々悩むが、96年の『All the Pretty Little Horses』はスティーヴン・ステイプルトン(Nurse With Wound)のリゼルギックな空間処理と相まって、この仰々しいジャンル名がふさわしい秀作である。
下の楽曲はキャシュモアのプロジェクトNature and Organisationのファースト・アルバム『Beauty Reaps The Blood Of Solitude』に収録されている「My Black Diary」で、アウトロのRose McDowall(Strawberry Switchblade)によるコーラスが胸を打つ。

興味深い話を二つ。キャシュモアはこのアポカリプティック・フォーク円熟期のある期間に日本を訪れている(Shaltmiraのブログ内インタビューにて)。滞在中にとある日本人男性と共に音楽を作ったそうだが、これに関しては一切の情報がなく、キャシュモア本人も思い出せないとのことだ。
彼はCurrent 93の12インチ『Lucifer Over London』が日本のレコード店で売られていたことに衝撃を受け、自分たちの音楽がヨーロッパよりもはるか遠くへと行き届いていることに初めてリアリティを感じたのであった。
もう一つは当時の彼に日本人女性のパートナーがいたということである。98年の『Death In A Snow Leopard Winter』ライナーでその容姿が確認できるYukie Gotoで、彼女もまたC93やCOILら友好の輪の中の一人であったようだ。筆者がキャシュモアの周辺にいた人物に彼女のことを尋ねたところ、夫婦という関係性ではなかったとだけ返事をもらった。

縁の下の力持ちであったキャシュモアの名前をC93のアルバムから見なくなったのは2007年ごろからだ。バンドが06年に出した大作『Black Ships Ate the Sky』(マーク・アーモンド、ボニー・プリンス・ビリー、クリス・アンド・コージー、ANOHNI、シャーリー・コリンズなど多数のゲストが参加している)を手伝った後に、キャシュモアは同アルバムのリリース元であるJnanaからソロ・アルバム『Sleep England』とEP『The Snow Abides』を発表した。演奏家やアレンジャーとしての仕事はこれを境に減りはじめ、マーク・アーモンドとの『Feasting with Panthers』と、スティッフィ・シエルなる女性のアルバムの楽曲面を手がけた2012年以降は音源の発表もストップした。C93のライヴでもピアノからギターまで演奏していたが、それも2012年のモスクワ公演が最後となっている。

身を潜めた理由に対して無意味な予想をしても仕方がないだろう。注目すべきは2015年ごろに彼の中で意識レベルの変革が起きて、それが復帰に繋がったということである。キャシュモアはこの年にNature and Organisationのアルバムを再発(C93にも参加するアンドリュー・ライルズによるリマスター)する一方、長年音楽の要にしてきたギターを置き、ドラムマシーンとシンセサイザーを新たな神器と見定めたのだ。音源として発表するのは少し先となるが、彼は自室にこもって延々とシンセサイザーをいじり回す日々を送り始めた。

霊的なインスピレーションは同時多発的に訪れたようだ。キャシュモアはリトアニア生まれのアーティスト、シャルトミラ(Shaltmira)とのビデオ通話時に、自分の電子音楽と彼女の声が調和することに気付いた。この偶然は2017年のコラボレーション12インチへと繋がり、Psychic TVのベルリン公演ではオープニングアクトまで務めることになった(現在は二人ともベルリン在住)。ふさわしい舞台でキャシュモアはアーティストとしての復活を遂げたのである。彼はギターを再び手に取る可能性は極めて少ないと話し、かつての弾き語りのようなパフォーマンスとは全く異なる儀式的音楽、あるいは音楽的儀式への意欲をインタビューで打ち明けている。
 キャシュモアを刺激し続けるシャルトミラも数多の媒体で表現する才人だ。そのイラスト(スウェーデンのブラックメタルバンド、Killのアートワークなども手がける)やメイク、ファッションに漲るヴァイブレーションを一言で表すならばパンク或いはウィッチクラフトだろうか。14,5歳の頃から彼女は数少ない仲間と墓地に集まり、議論、朗読、ミックステープの交換、不愉快な政治家の写真を燃やすといった行為に青春を費やした。彼女はあるインタビューでその時期をミレニアル世代による「死せる詩人の会」(『Dead Poets Society』:89年公開のピーター・ウィアー監督による映画。邦題は『いまを生きる』)だと振り返っている。その反骨の意思表示を補強したものの一つがリトアニア異教史(キリスト教が浸透し始めるのは15,6世紀ごろからである)であり、シャルトミラのようなアーティストはその秘境的土壌と継承の証左なのだろう。

2019年、二人の蜜月は一つのアルバムになった。それが『The Doctrine Of Transformation Through Love Ⅰ』だ。ナンバリングがされているように、これはキャシュモアの壮大な小宇宙のほんの一片でしかなく、2020年には早速第2弾がリリースされている。音楽はほぼインストだが、タイトルには意味深なメッセージが捧げられている。「肉体的な生は一度だけ、変身せよ」と名付けられた曲は、転生の概念がないキリスト教に包まれて生きてきた彼にとっての命題なのだろうか。前回書いたオソン(Othon)にも共通するテーマであり、ある種のモチベーションになっていることは確かだろう。
 しかし、何よりも驚くべきところはやはり音が変わっていることだ。このアルバムでは全編を通してオールドスクールなエレクトロの面影がある。空間系エフェクトはまるでアコースティック・ギターの代わりを果たしているかのように主張し、甲高く鳴り響く電子音は奇しくも2010年代的シンセウェイヴのように聞こえる瞬間さえある。
唯一の例外がビル・フェイをフィーチャーしたクロージング・ナンバーで、ため息のようなギターが遠くで鳴り響く。侘しいフェイの歌声がどこかジギー・スターダスト時代のボウイを連想させた。

ライヴ・パフォーマンスに対してもキャシュモアは意欲的で、次の瞬間に何が起こるかわからないような演奏がしたいと彼はインタビューで意気込んでいる。ベルリンでは珍しくないコンクリート打ちっぱなしの小さなライヴ・スペース、その暗く密閉された空間で残響するエレクトロニクスを思い描いてみよう。冷たい壁や天井に反射した電子音は重なり合い、天然のエコーが全身を包み込む。それは大聖堂内で弾かれるオルガンや聖歌が反響することで、その奏者や歌い手たちが反射された自らの音で体感する法悦のようなものになっているのではないか。そんな空間でこそキャシュモアの追い求めるものが発現されるのではないだろうか。

このエレクトロなサウンドとキャシュモアの経歴から連想してしまうのが神秘体験とクラブ・ミュージックとの歴史的な繋がりである。Psychic TV(キャシュモアはTemple Ov Psychic Youthの会員でもあった)とアシッドハウスの関係を筆頭に、近年(局所的に)名を見かけるニック・ランドが率いたCCRUにとってのジャングル/ドラムンベース、またはコード9とダブステップのような系譜がある。ただ、こうした先駆者たちとキャシュモアにはオーガナイズの有無があり、そこは大きな違いと言える。キャシュモアはあくまでインディヴィデュアル、個人的であることに軸を置いているように見える(少なくとも今の時点ではだが)からだ。音楽は世界ではなく自分の意識を変えるためのもの、それをふまえるとメイクやファッションによる変身を遂げ続けるシャルトミラのような人物と同調するのもますます納得がいく。
 SNS上では「本人名義」で一方的にメッセージを発信することに終始しており、過去に足を引っ張られている自覚もあるのか「Current 93のメンバーという紹介の仕方はやめてほしい」と書くこともあった。Nature and Organisationの名も控え、個人として声を送り始めたキャシュモアからは過去の彼にはなかった類の感情が感じられる。それは煽動されていることに無自覚で、多数派であることをアイデンティティにする内向的な世界への闘争心だ。これこそ筆者が今の彼に引き寄せられる何よりの理由なのであった。



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