アフターテクノ(ジョン・マーティンからPye Corner Audioまで)

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かつてバラッドと呼ばれる民謡は、読み書きができない人々に伝承するためのコミュニケーション方法だった。セシル・シャープが目撃し、保存してきた農民たちの歌やモリスダンスは伴奏を持たず、独唱が当たり前だった。やがて祭事に用いられていたフィドルが加わり、そこにピアノやギターが加えられた時も伝統を損なうものとして異端視されてきた。ボブ・ディランがエレキギターを持ち出したことに匹敵する事例は、それまでの民謡の変遷(≠進歩)を考えれば必然だった。こうしたショックは伝統とは何かということを思い出せるものであり、よりトラディショナルな表現が思い出されるきっかけにもなる。ロブ・ヤング『Electric Eden』はこうした前提からブリテンのフォーク史を追いかけている。
ディランのエレキギター騒動があったニューポート・フェスティバルの前年である1964年、ピート・シーガーらがThe Critics Groupを立ち上げて、厳格に方言と歌唱の均衡を保とうとした。しかし、歌を邪魔しないように伴奏をアレンジしていく動きもあった。そしてこれこそが電化に匹敵する民謡の革新である。デイヴ・グレアムのモロッコの音楽にヒントを得たチューニングは、アメリカのフォークギターが音階的にブリテン諸島各地方の歌と合わないとする前提を破壊した。Fairport ConventionやSteeleye Spanはフォーク・ロックとして、民謡をエレクトリックな楽器編成や4/4拍子というルールと異種交配させて更新した。
Fairport Conventionはディランのカバーを多く収録し、なおかつ電化を率先して取り入れていた。『Unhalfbricking』と『Liege & Lief』(ともに1969年)は、デイヴ・スウォーブリックのフィドルがトレードマークとなり、伝統的な楽器の音を増幅することでアコースティックでは出せない音を生み出した。それは新たな民謡の一模様となった。

Fairport Conventionと同じIslandに所属していたジョン・マーティンは古き民謡の結婚相手にロックではなくジャズを選んだ。新旧の様式を折衷させたのがフェアポートなら、マーティンは民謡の音響面(アコースティック)を大きく拡張した。アコースティックギターにエフェクターを介して独特の音と響きを生み出すマーティンの脳裏にはマイルス・デイヴィス『In A Silent Way』も当然あったが、何よりも彼に影響を与えたジャズといえばファラオ・サンダースであった。ファラオの『Karma』は終生マーティンのお気に入りで、マーティンがファラオのように神秘思想に傾いていたら、彼もまたグスタヴ・ホルストの系譜に入れたかもしれない。
キャリア初期こそ牧歌的なフォーク歌手であったマーティンだが、パートナーとなるビヴァリーとの共作を経て発表された1971年の『Bless The Weather』には、後の先鋭化した音響の前兆がある。インストゥルメンタル「Glistening Glyndebourne」で耳にできるディレイ越しのアコースティック・ギターは、電化を詩(物語)の悲劇性の強調として用いたフェアポートらと異なり、歌い手の内面世界を映しだすというある意味でディラン的な表現である。
この音響化(スピリチュアル化)は『Solid Air』(1973)でさらに飛躍する。当時出たテープディレイEchoplexの最新モデルを多用し、空間に溶け込むように引き延ばされたエレピやビブラフォンは、「Don't Want To Know」においてギターと歌に並ぶ主題になった。「I'd Rather Be The Devil (Devil Got My Woman)」と「Dreams By The Sea」は「Glistening Glyndebourne」を圧縮したマーティン流ファンクだ。それまでのフォークにはなかったであろう「トライバル」という形容がふさわしいパーカッションと、ジミ・ヘンドリックス風ワウワウがのたうつギター、そしてマーティンの歌に民謡的でないコブシが乗る。サンダースのレコードでマイクをとったレオン・トーマスに影響された結果だった。
数多の機材を通してスピリチュアルな世界へと飛躍するマーティンは、テクノロジーの進歩が激しくなる80年代の準備が出来ていた。『Solid Air』の次は、ムーグシンセが主役になる瞬間さえあるプログレッシブロック(同じIsland所属の演奏者が頻繁に彼のレコードに参加した)志向の『One World』を作った。「Small Hours」は「Glistening Glyndebourne」のアップデート版ともいうべきインストで、ドゥルッティ・コラムの前兆、つまりディストーションなどで額面通りの激しさを避ける傾向にあったポストパンクのギターに先回りしている。84年のアルバム『Sapphire』の時点でマーティンはアコースティックギターを置き、艶やかな80年代のサウンドを躊躇なく取り入れた。マーティンのフォークはテクノロジーと積極的に結びつき、機械が自然を意識するかのように一体となる。

汎神論というよりは禅的な考え(90年代後半にマーティンは仏教にハマった)と科学の出会いは『Solid Air』ジャケットにも表れている。空気が指の間を通り抜けるところを捉えたサーモグラフィで、水のように流れる空気と熱に応対する色彩が実にサイケデリックである。何気ない動作、風景に美的な現象を見出す意識は、神秘主義と、その対極にあると考えられがちな実証主義の両方が通る道だ。60年代には電子顕微鏡技術の飛躍により生物学から鉱物学など多数の分野が進歩し、身近なものを細部まで、内側まで覗き込めるようになった。英国はここで古代からの遺産を逆照射的に発見する。『Solid Air』発表の前年にBBCで放映された『The Stone Tape』は、岩が一種の記録メディアとして音や像(幽霊)を投影するという仮説にぶちあたり、鉱物の解剖に躍起になる科学者たちが描かれている。

『The Stone Tape』は、プロットからタイトルまでチャールズ・レスブリッジが広めたストーンテープ理論に即している。心霊学者であったレスブリッジは19世紀からのオカルト測定学ともいうべき疑似科学に没頭し、ダウジング理論を提唱したことでも知られている。このドラマが提示した科学的根拠とオカルト的飛躍のセットは、ゼロ年代から英国で加速する憑在論シーンの知的ソースである。Ghost Box Recordsは一部のリリースにレスブリッジの発言を引用し、テレビモニタに映る人間を幽霊の一種だと宣言している。
60年代中心の文化的・技術的成長によって生まれた風景の多くが21世紀に振り返られたとき、ストーンテープ理論的な解剖と分析の欲求が失われた未来への期待として回収された。今日では同様の技術が格段に進歩しているはずなのに、である。Ghost Box随一のエレクトロニック派Pye Corner Audio『Entangled Routes』(2021)には、地中の根をX線で捉えたとおぼしき写真が使われている。そのサウンドはWarp Recordsのオムニバス『Artificial Intelligence』やBlack Dogの仕事に通じる、室内で聴くテクノだった。アフロフューチャリズム的な法悦ではなく、内側に引っ込んでいくPye Corner Audioの没入感は、今日のように音楽構造的なジャンル分けにおけるテクノではなく、もっと定義があいまいで、しかし強力な期待が寄せられる新しさとしてのテクノのイメージを見出してしまう。筆者がリアルタイム世代でないのはもちろん、クラブという場を介さずに多くのテクノに触れてきたゆえの感想だが、この時代との大きな距離がなければPye Corner Audioおよび英国憑在論シーンの魅力を感じることができなかったとも思う。テクノよりもさらに過去のフォークから、ジョン・マーティンのような音楽から過去に抱かれていた期待と同質のものを幻視することも同様に。

(25.10/28)

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