Fairport Conventionのフィドル奏者デイヴ・スウォーブリックは、1975年に出版された『The Electric Muse: The Story of Folk Into Rock』の中で自分たちのフォーク・ロック、それが持つ電気によって増幅された音の魅力を説明している。 If you're singing about a bloke having his head chopped off, or a girl fucking her brother and having a baby and the brother getting pissed off and cutting her guts open and stamping on the baby and killing his sister — now that's a fantastic story by any standards, whether told in a pub or on Broadway. Having to work with a storyline like that with acoustic instruments wouldn't be half as powerful or potent, dramatically, as saying the same things electrically. Because when you deal with violence, when you deal with someone slashing with a sword, say, there are sounds that exist electrically — with electric bass, say — that can very explicitly suggest what the words are saying.「もし頭を切り落とされた男について、または兄弟と交わって子供を宿し、怒った兄弟に腹を切り裂かれて取り出された赤子もろとも殺されてしまった少女にについて歌うとしたら、その歌はパブでもブロードウェイでも喝采を浴びるだろう。そのようなストーリーをアコースティックで表現しても、その迫力やドラマ性は、電気で増幅された音楽をバックにしたそれの半分にも満たない。剣で斬りつけるといった暴力を描写する言葉は、エレキベースなどの電化された音でより確かなものとなる」。『The Electric Muse: The Story of Folk Into Rock』より(日本語は筆者訳) スウォーブリックにとって、音とは詩を、物語を補強するものとして捉えられている。悲惨な内容の物語にこそふさわしい音があり、少なくとも彼にとっては理不尽な現実を描写するトラッド・ソングと電化の相性は最高であるようだ。ヴァイキングの侵攻やキリスト教の普及によって少しずつ消えていったケルト人の記憶を伝えるトラッド・ソングや、アフリカン・アメリカンの奴隷たちが歌っていたブルースなど、時代や国を問わず苦難や死についての歌は多い。重要なことは、歌が苦難や死そのもの、またはそれらが入り込んでいる人生について歌っていることである。詩に登場する人物の細かな背景は明示されず、歌う側にも聴く側にもさして重要ではない。シャーリー・コリンズとアシュリー・ハッチングスを例に挙げるなら、二人は自分たちのルーツである英国北部の労働者たちの記憶を歌い継いだ。そこでは彼ら彼女ら自身の物語ではなく、状況だけが提示される。ゆえに、違った時代または違った文化圏に生きる人間が見聞きしても、自らの物語と結びつけることができるのだ。たとえばトラッド・ソング「Cruel Mother」は、わが子を堕ろして森へ埋めた母親が、子の霊から呪いを宣告されるという状況が描かれる。その母親が子を手にかけた理由は、歌う者・聴く者それぞれが解釈し、現在の自分と結びつける。 ポピュラー音楽としてのデスディスク 1950年代のアメリカでは、今日イージー・リスニングと呼ばれる音楽が多く作られた。80年代後半には「スペース・エイジ・バチェラー・パッド・ミュージック」とも呼ばれるようになるそれらは、多くがハイファイ・オーディオ環境の販促目的で作られていたが、宇宙というテーマには戦勝国たる自国が世界をリードしていくという開拓精神が込められているかのようだ。一方、戦勝国であるが本土の攻撃を受けた英国にとって、進歩主義は戦争の傷を癒すためだったという見立てもできるだろう。50年代英国で作られた電子音楽、たとえばBBC Radiophonic Workshopがテレビ番組や広告用に制作していた音楽は、福祉国家を志向し始めた戦後ならではの楽観的なユートピア像に基づいている。 スコットランド出身ラリー・ストットが1970年にフィリップスから発売した「"Chirpy Chirpy Cheep Cheep」は「朝目覚めたら両親がいなくなっていた(あるいは死んでいた)」という事実だけが繰り返し歌われる。ストットが1977年に交通事故で亡くなったことで、この曲は「Black Denim Trousers And Motorcycle Boots」が経た事実すべてを自らで演じたようなものだ。なお、この曲は後述するCurrent 93がライヴの出囃子として流している(使用されているのはMiddle of the Roadのバージョン)。 パンク・ロックの隆盛で古臭いフォークやプログレッシヴ・ロック離れが叫ばれた英国だが、上の世代から受け継がれてきた死への意識が取り除かれることはなかった。パンクの着火点たるSex Pistolsは、王室批判の意を込めた「God Save The Queen」と「Anarchy In The UK」が有名だが、ジャーナリストのデヴィット・キーナンが主張するところの「タブーをポップにする試み」=死を意識した歌としては、ナチスドイツ時代や分断された現在のベルリンを歌った「Holidays In The Sun」や「Belsen Was a Gas」の方が重要だ。 バンド解散後にジョン・ライドンに名を改めてPublic Image Ltd.として活動する。ライドンは幼いころの自分を懸命に支えた母親の死に「Death Disco」(1979)を捧げた。ライドンからのディスコ・ミュージックに対する敬意めいたタイトルは、デスディスクであることも表明していたのだろうか。 Joy DivisionやThe Fallのような実存主義的な混乱を歌ったバンドの世界観に死は欠かせず、それは自分自身への問題提起でもある。その他にも幽霊または精霊が装置として飛び出すいくつかのゴス・バンド(Siouxsie And The BansheesやBirthday Party、Killing Jokeなど)は、デスディスクをよりキッチュに、音楽的に洗練させた実例といえる。より直接的なテーマ、ここではJGバラード『クラッシュ』経由で交通事故を取り扱ったThe Normal「Warm Lettherlet」も忘れてはいけない一曲で、こうした暗いフェティシズムもデスディスクの条件といえる。 90年代以降のデスディスク ロブ・ヤング著『Electric Eden』最終章「The Unknown Religeons」で、ヤングは70年代末の英国インダストリアル・シーンとその後のポスト・インダストリアルとしての80年代に登場してきたアーティストが、フォーク・ミュージックをひっそりと蘇生させたと指摘している。Current 93はバラッドやナーサリーを含めたトラッドへと逆行し、技術的な意味で彼らにとってのジョー・ミークたるスティーヴン・ステイプルトン(同じ北ロンドン出身でもある)のミックスによって、超サイケデリックなフォークへと到達した。先人たちの評価についても、Current 93座長のデヴィット・チベットは80年代の時点で引退していたシャーリー・コリンズを説得し続け、92年の『Thunder Perfect Mind』のイントロダクションへの参加を実現させた。同年にチベットはコリンズの過去録音オムニバス『Fountain Of Snow』を、続く98年には姉のドリーとのライヴ録音を収録した『Harking Back』をそれぞれ自主レーベルDurtroからリリースしている。 余談だが、2020年のアルバム再発をきっかけに、コリンズと同じDominoレーベル所属になったMy Bloody Valentineのケヴィン・シールズは、2021年の『RollingStone』インタビュー内で、バンドの代表作『Loveless』のボーカルが音響と溶け合っていることについて、伝統的なフォーク・ソングを例に出している。「ヴォーカルが"私に注目して!"と主張することのないような、そういうフォルムを持つあらゆる音楽の方に近いんだよね」と説明した。MBVのノイズによる忘我の時間は、ブリティッシュ・フォークの発展例の一つだったといえはしないか。 ポストパンクの時代は冷戦に対する潜在的な恐怖を反映し、核戦争下の瞬間を柔らかに、または華やかに歌った曲も生まれていた。Young Marble Giantsの「Final Day」や、Strawberry Switchblade「Since Yesterday」はその代表である。スウィッチブレイドのローズ・マクドウォールは、グループ解散後にPsychic TVやCurrent 93といった土着派または異教求道者たちと合流している。決定的な瞬間は、米国の俗文化仕掛け人ボイド・ライスとのデュオ「Spell」で、一枚だけ残した1992年のアルバム『Seasons In The Sun』は、ほぼ全曲デスディスクのカヴァーであった。 参考記事:「デス・ディスクの魅力:悪趣味なのか、ユーモアなのかアート表現なのか」 (23.4/15) |
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