パストラル憑在論 Andrew ChalkとRobert Haighについて

ツイート

 『MUSIC + GHOST』で主に取り上げた英国のGhost Box Recordsは、本国の音楽ジャーナリズム内で憑在論(hauntology)の実例とみなされている。マーク・フィッシャーやサイモン・レイノルズが指摘した、失われた未来を幻視する方法論としてのサンプリング、過去を現在に召喚することへの執着という共通項で、Ghost BoxはBurialなどの作家と同じカテゴリに入れられていた。
日本ではフィッシャーの『わが人生の幽霊たち』くらいでしか情報が日本語化されていないのだが、失われた未来に対するGhost Boxの創造的源泉は明確に言語化されている。それは50年代末から78年(マーガレット・サッチャー政権が始まる前年)までの社会設計と文化的傾向、そして都市開発の及ばない郊外が持つ心理地理学的な機能である。彼らの名前や取り組みが、後述するスティーブン・プリンスの著作で拾われている事実は、Ghost Boxがクラブ・カルチャー文脈「のみ」では理解できないことを意味している。彼らが根差しているのはマーガレット・サッチャー時代以前のポップカルチャーであり、それらは神話やフォークロアをその時代ごとに再解釈したものなのだ。

「郊外が持つ心理地理学的な機能」について、英国の音楽評論家ロブ・ヤングやサイモン・レイノルズらは「pastoral」(パストラル:「牧歌的な」、「田園生活的な」の意)という形容詞で説明することが多く、Ghost Boxのジム・ジュップやジュリアン・ハウスたちの音楽にも同語を添えている(こうすることでBurialやHyperdubのアーティストたちといった憑在論都市派との区別をつけているように見える)。ストーンヘンジなど郊外に遺る異教文化の名残がもたらす幽玄(アストラル)なイメージは、幼少時代のジュップやハウスに浸みついており、たとえ都市開発によって郊外の景色が失われてしまおうとも、彼らの内面に生き続けている。ここがGhost Boxの憑在論に「パストラル」という冠詞がつけられる所以だ。彼らと同郷であるアーサー・マッケンなどの怪奇小説がGhost Boxのインスピレーションになるのも、郊外に対する畏敬めいた感情をそこから見出しているからだ。
 ロブ・ヤングは著書『Electric Eden』の中で、フレデリック・ディーリアス(19世紀の作曲家。オウギュスト・ストリンドベリと交誼を結ぶ無神論者としても知られていた)からパストラル憑在論的な要素を見出している。アパラチアでアフリカン・アメリカンの音楽に影響を受けたディーリアスの音楽性が20世紀初頭の英国伝統音楽復興の肝となっていることや、彼が非宗教者であるにもかかわらず「鎮魂歌」を書いた事実が、この21世紀に異教探求と並行してキリスト教のルーツを突き止めようとするデヴィット・チベット(Current 93。ある時期から音楽性をフォークに転換する)と接続できることが主な理由だ。ヤングは伝記作家ピーター・ウォーロックの言葉を引用しながら、ディーリアスをウィリアム・ブレイクのような異端神秘主義者の系譜に数えている。人気の程度に大小差はあれど、ブリティッシュ・フォークは伝統的に神秘主義の色を持っている。

Ultimately there is more of the melancholy of sunset than the hope of spring in the Delian corpus, but there is a solemnity and a reverence for nature at its heart.  Delius's life can be found a foreshadowing of the pattern of retreat, countryside immersion and innovation that recurs throughout the ensuing century.
The Delian mode of relaxed but reverent pastoral timelessness would become one of the two dominant models for the wider English music revival of the early twentieth century.

ディーリアスの音楽は春の希望よりも夕暮れの憂鬱が多くを占めているが、その中心には厳粛さと自然に対する畏敬の念がある。
(中略)
力の抜けた、しかし恭しく牧歌的な永遠性というディーリアスのモードは、20世紀初頭の幅広い英国音楽の復興において、主な2つのモデルのうちの1つとなる。
Rob Young 『Electric Eden』より。日本語は筆者訳

上に引用した文章に出てくる「主な2つのモデル」のもう1つとは、セシル・シャープといった「イングランドの」学者たちによってアーカイヴされ、結果としてリバイバルしたフォーク・ミュージックである。シャープが(一方向的に)記録したのは、連合化する以前のウェールズやスコットランドなどで歌い継がれてきた過去の記憶であり、それらがGhost BoxのBelbury PolyやThe Focus Groupによってサンプリングされることで、パストラル憑在論の歴史が20世紀初頭から21世紀まで接続されたのだった。
Ghost Boxだけではない。スティーブン・プリンスのフィールドワーク・プロジェクト『A Year in the Country』やデヴィット・チャットン・バーカーのFolklore Tapesは、セシル・シャープ的なフィールドワークの続きであり、パストラル憑在論の典型となる取り組みである。これらは中央集権化から取り残された地域をマイク片手に歩き回り、そこで得た録音を凝ったデザインと丁寧なテキストとともにパッケージするものである。録音された「現地の音」は様々なアーティストによって加工され、フィクションと現実が交差した奇妙な音響ができあがる。つまり、過去を召喚するために現在の文明が駆使されるという構造になっている。
 この自然とテクノロジーとの折衷、二つの要素が共存している状況それ自体が成果とみなされる状況は、イギリスの伝統的な文化的傾向と呼べるものだ。18世紀の農地囲い込み(地主によって土地を独占された農民は、報酬を得るため都市へと出向き「労働者」として働いた)から戦後の都市開発に至る産業革命の影響は、農民たちにとって文明化以前の光景をノスタルジーの対象にした。
 自然へのノスタルジアはフォークロアとして継承され続け、戦後に生まれた大衆向けの娯楽にも浸透している。たとえば『The Quatermass Experiment』(1953年製。宇宙から飛来した隕石が郊外へ落下することから始まるプロットは、因習を破壊するよそ者こと異邦人をなぞったものである)などの脚本で知られるナイジェル・ニールの代表作『The Stone Tape』(1972)は、ヴィクトリア朝時代の建物を改修した研究所で音響実験に励む科学者たちと、そこに残る岩を取りまく怪異現象との出会いが描かれている。このドラマは「幽霊とは場所の記憶である」という定義のもとで話が進み、開発された都市であっても、それ以前の記憶=幽霊がいることが示唆される。人はみな今立っている土地の記憶の一部なのだ。

荒涼とした自然がもたらす不安と懐かしさが入り混じった感情。さかのぼればブライアン・イーノ『On Land』やヴァージニア・アストリー『From Gardens Where We Feel Secure』といったアルバムは、この英国的な直感に従った音楽であった。『MUSIC + GHOST』でも、この二枚の名前は頻出するし、これらの後続はGhost BoxやFolklore Tapesなど枚挙にいとまがない。それこそパストラル憑在論だけでディスクガイドが作れてしまうほどで、ゆえに取りこぼしが多くなる。よって、ようやくの本題となるが、今回は『MUSIC + GHOST』でほぼ名前を出さなかった作家たち、アンドリュー・チョークとロバート・ヘイについてメモ代わりに記述したい。
 Seal Poolレーベルオーナーにして日本最大のNurse With Woundコレクターでもあるジョン・ポデツワ氏は、NWWと並んでアンドリュー・チョークとロバート・ヘイの信奉者でもある。ジョン氏はチョークやロバート・ヘイの音楽が描きだすものを「地方や放棄された土地が持つ、もっと普遍的な意味での失われた時間」と表現した。

アンドリュー・チョークが録音を始めたのは84年ごろのことで、フィールドレコーディングや具体音をレイヤーし、音響面での実験結果としてFerial Confine名義のカセットテープが作られた。謎めいたテキスト、ショッキングなアートワーク(死体写真など)、そして耳を裂くようなノイズが控えてあるところは、今挙げた要素が目的化していたインダストリアル・ミュージックのクリシェ化に対する拒否の意思が感じられる。これは同時期の英国で登場したThe New BlockadersやOrganumといた作り手たちと共通するもので、実際に三者は互いの作品に参加している。その後チョークは、ダレン・テイトとのORAや、ジャンカヌロ・トニウッティとの共作『Tahta Tarla』を経て、ミニマルな音楽性を志向する。レイヤーされる素材の数は厳選され、音自体も「鳴らす」のではなく、鳴ったところを「捉える」ともいうべきライヴ的性格に依拠するようになった。
 94年のドローン名作『East Of The Sun』は、実験的な側面が強かった『Tahta Tarla』から一つ上の段階に移行した作品で、これ以降のドローンにはチョーク本人の筆致ともよべる個性が宿り始める。Ferial Confine時代のように未知の音響を探すといった革新性ではなく、作り手のバイオリズムにフィットする瞬間を探るセラピー的な意欲といえばいいだろうか。そこには、(イーノが『On Land』で試みたような)不穏から安らぎを求める英国的な精神性、すなわちパストラル憑在論がある。それを簡明に表したのが、2000年代の『Vega』や『Blue Eyes Of The March』といった薄暗きアンビエント・ドローンだった。
 自主レーベルFaraway Pressや、鈴木大介氏主宰のSirenからリリースされたチョークのアルバムには凝った装丁が施されることでも有名である。アートワークにはチョーク本人による絵画や写真が主に使われるのだが、出所不明の品々がファウンドアート的に使用されることもあり、近年ではむしろそれが主流になりつつある。例を挙げるなら鈴木氏との共作として作られた『影は気ままに』や『夜のバイオリン』で用いられた切り絵、『ナホトカの幻』のおそらくはロシア産絵葉書(?)、同類の士であるヴィッキ・ジャックマンと連名で制作した『紙人形春の囁き』(溝口健二のサイレント映画に由来する)でタイトル通りに使用されたモチーフ、近年の連作として記憶に新しい『THE CIRCLE OF DAYS』のファンシーな絵本の切り抜きが挙げられる。細かい違いこそあれど、一貫しているのは個々に作家性が希薄な点である。無私無銘の芸術たちとつがいにすることでチョークの音楽は民藝的なものになり、ひいては一つの共同体内に根付く精神運動的な意味でのフォークを遂行させるのであった。

2022年最新作『THE END TIMES』。音響としての目新しさを求めるならば、先日bandcampでリリースされた『The Sun Ages』(2005年の録音)がオススメ。

ロバート・ヘイが辿ってきた音楽的変遷はチョークのそれよりもふり幅が広い。最初期の活動であるLabyrinthは本人曰く「グラムロックのコピー的なバンド」だったらしく、その後のTruth ClubとFote(のちにThe Monochrome Setでドラムを叩くトレヴァー・レイディーとのデュオ)はエスニックな気配を伴うポストパンク・バンドであった(Fote名義唯一のLPはRobot Recordsによって再発された)。
 短いバンド期間を終え、ヘイはソロプロジェクトであるSemaとして作曲を始めた。ギターは手放され、代わりにピアノが作曲から録音に至る音楽の核となった。サイモン・レイノルズによる取材の中で、ヘイはピアノが持つ自己完結性が高さに惹かれると話している。メモ帳にもカンヴァスにもなるピアノは、エリック・サティ風フレーズから通奏低音といったパートさえ作る余地を与えてくれたようだ。Semaの『Three Seasons Only』や、本名名義の『Juliet Of The Spirits』、 L.A.Y.L.A.H. Antirecordsのオムニバスに収録された「Music For Piano」は、メランコリックに燃え上がるともいうべき欧州的な情緒に満ちている。今挙げた3曲はすべて84年に作られたものであり、アンドリュー・チョークが録音を始めた時期と重なっている。ポスト・インダストリアル・ミュージックの主な発信元であったL.A.Y.L.A.H. Antirecordsからピアノ音楽を発表するということは、アンドリュー・チョークが「当時の」インダストリアル・ミュージックの因習に向けていた反抗精神に近いものがある。

80年代末にヘイはロンドンを離れてハートフォードシャー州へと移住する。家族とともにレコード店「Parliament Music」をオープンしたヘイは、店の経営を成り立たせるために当時勃興したてのレイヴ・カルチャー内で人気のハウス・ミュージックを仕入れ始めた。この新種の音楽は、ヘイよりも一回り若い世代が夢中になり、それは作り手さえも例外でなかった(ドラムンベースDJで、RAM Records設立者としても知られるアンドリュー・ジョン・クラークは当時16歳)。
リチャード・H・カークがSweet Exocsitとしてヒットを飛ばしたように、レイヴは一部のポストパンク・アーティストを商業的または創造的な意味で蘇生させた。ヘイにおいてはその両方である。彼はいくつかのハウスがピアノをサンプル化してループさせていることに気付き、見知った楽器が従来と違う使われ方をしていることに感銘を受けた。
自分でもレイヴ・ミュージックを作ろうと奮起したヘイは、Amiga 500を購入してProtracker上で作曲をはじめる。Splice名義の「Falling (In Dub)」に顕著だが、ヘイにとって重要だったのはボーカルのサンプル化であった。店に仕入れていたアカペラ歌曲のレコードなどから切り取られた声の断片は、ブレイクビーツによって転がされるように響き続ける。やがてOmni Trio名義でジャングルの名手となったヘイは、90年代からの10数年間をこのペルソナに費やした。
Omni Trioの音楽はソロ名義のピアノ音楽とはかけ離れているように思われがちだが、「Shadowplay」といった楽曲のピアノの使い方や、ブレイクで曲に緩急をつけるといった最小限の手数=反復のメソッドは、ヘイのミニマリスティックな作曲姿勢に適していた。
 レコードに封じられた声の主に新しい文脈を与えて歌わせることと、商業的なクラブ・ミュージックに添えられがちであったサイバーパンクなイメージとは対照的な退廃志向(『The Haunted Science』のジャケットは黄昏時のストーンヘンジを捉えたものである)を持つヘイの音楽は、2000年代から登場するBelbury Polyといったパストラル憑在論者たちの精神的な親に数えられるだろう。さらにBurialやKode9といったアーティストらクラブ派との間を繋ぐものと考えれば、音楽ジャーナリズム内における憑在論がDJ/クラブ・カルチャーと切り離せないことの証明にもなる。

2000年代に入ると、ヘイは情緒的にも情報量的にも過剰なリキッドファンクのような新興ジャンルとのズレに悩み始め、最終的には自分を偽ることをやめた。Omni Trioの活動を停止させることは、セールスを考えれば自殺行為(最後のアルバム『Rogue Satellite』のエンドロールは「Suicide Loop」という曲名さえつけられていた)であったが、ここで終わりを選べるからこそヘイの芸術は成り立つものである。自分にとって無意味な再生産を拒む姿勢が正しかったことは、後のソロ名義とともに回帰したピアノ音楽を聴けば明らかである。
 Sirenからリリースされた一連のピアノ・アルバムは、革新性を求めて無調に至るなどの短絡的なアイデアに走らず、12音階の中で遠くの領域に達さんとするストイックな姿勢の産物である。ここまででも書いてきたように、限られた手段で新しいものを創るという在り方はOmni Trioで実践してきたことと同じだ。
なお、ヘイの復帰とSirenからのリリースに至った経緯は、『FEECO』Vol.4のジョン氏のインタビューに詳しいので、よかったらこの機に読んでもらいたい。

Sirenからのリリースを経て、ヘイはUnseen Worldsから3部作的位置づけにあるアルバム群を発表した。興味深いことに、Siren時代からの差別化を図るような努力がわずかであるが、しかし確かに盛り込まれている。『Creatures of the Deep』と『Black Sarabande』では、従来よりもドローンが強調される場面に富み、「Koto Line」や「Stranger on the Lake」のような楽曲はピアノとエレクトロニクスが対等な関係にある。
3部作ひいては音楽家ロバート・ヘイとして最後だという『Human Remains』では、ごくありふれた自然の風景の美的な価値を、理想的に自己完結させることで描くというヘイの作法が静かに爆発している。アルバム名はヘイ本人が描いた絵に由来しており、自然の脅威に晒された人類と、そこでも絶えない意志を想像したというテーマの表象として古代の遺跡が選ばれた。この采配から英国的なパストラル憑在論を感じずにはいられない(「Lost Alvion」という曲もある)。そして重要なことは、『The Haunted Scienece』のジャケットと同じように、遺り続けている過去の痕跡が放つ幽霊的な引力こそヘイを惹きつけるものであり、オカルト的あるいはヨーロッパ主義的ナショナリズムと密接にある土着的ノスタルジアに類するものではないことである。
 Omni Trioを潔く封印した時のように、ヘイの芸術には「終わること」が含まれている。より具体的にいえば、終わっても残されたものが続いていく。これもまた「幽霊とは場所の記憶」であるというナイジェル・ニール的価値観に属するものであり、だからこその『Human Remains』なのである。

 ここからある疑問というか課題が生まれる。パストラル憑在論とは、英国(郊外)育ちの人間特有の個人的回帰と換言できるのか。ならばヘイやチョークといった作家が日本のSirenと意気投合したということは、日本にも同質の精神性めいたものがあるのか。『MUSIC + GHOST』を補う機会のために、改めて研究していきたい。


戻る

(22.12/27)

面白かったらサポート