Music Is Myth : The Incredible String BandとBoards Of Canada

ツイート

来月発行予定の『MUSIC + GHOST』には、The Incredible String Bandによって分かれた二つの英国的ノスタルジアについて記述している。一つは将来のネオフォーク運動の呼び水となったCurrent 93のフォーク・ミュージック転向。もう一つがBoards of Canadaである。文章が長くなったせいで、当初の予定よりもチャプターを一つ増やすことにした。
今回は当該の文章を部分的に掲載する。バンドやレーベルがカタカナ表記になっているなど、過去の文章とのバラつきがあるのはご了承ください。

ジ・インクレディブル・ストリング・バンド(ISB)は、80年代中期からの密かな英国フォーク・リバイバルにおいて分岐点的な役割を果たしている。バンドにとっても(そして世間にとっても)サイケデリック全盛期に作られた『5000 Spirits or the Layers of the Onion』や『The Hangman's Beautiful Daughter』は、カレント93からベルベリー・ポリーらゴースト・ボックスのアコースティック派、さらには90年代末の米国から出てきたフリーフォーク系の作家たちにまで影響を与えている。ISBのアイコンは中近東の楽器、超自然的な物語性を持った歌詞、その神秘的態度だ。最後については、後の世代が文脈を付け加えたものではなく、バンド自身が結成時から保持していたものである。メンバーであるロビン・ウィリアムソンは2003年にリッチー・アタンターバーガーに対して、「私が64年から65年という時代に挑戦したこととは、天使が恐れて踏み入れないような領域へと愚者が突っ込んでいくようなものだった」と告白している。ウィリアムソンは文学と音楽を同一視していた。書き手の経験がいくつも交わることで新しい現実としての小説が生まれるように、フォーク・ミュージックでたくさんのことを表現したかったからこそ、ISBはあらゆる民族楽器を取り入れたのだった。ロブ・ヤングが指摘するように、ビートルズによってサイケデリアがポップカルチャーと混ざり合って世界的に浸透する前から、英国ではこの種のバンドがチャートに入っていたのだ。
 1963年、エジンバラで演奏していたウィリアムソンとクライヴ・パーマーは、エレクトラ・レコードのジョー・ボイドからのスカウトをきっかけに、オーディションで出会ったマイク・ヘロンを加えてISBを結成した。獣医メアリー・スチュアートがグラスゴーの小さな町バルモアで開いていた宿「テンプル・コテージ」にてコミューン的生活を送ったISBは、ビート文学とケルトの知識を取り込んだ独自のサイケデリアを形成する。
バンドの神秘的世界観は音楽としてヒットし、彼らはウッドストックのフェスティバルにも招かれた(ボブ・ディランもISBのことを気にかけていたようだ)。BBCのクルーは彼らのドキュメンタリー・フィルムさえ製作した。1970年の夏に放映されたISB印のサイケデリック・ムービー『The Pirate & the Crystal Ball』は、バンドがコミューンの拠点を移していたウェールズ南部で撮影されている。サイレントで繰り広げられる、牧歌的だが少しばかりのホーラが入り混じった映像は、ゴースト・ボックスのアーティストたちの頭から離れないSFドラマの類と同じカテゴリーにある。

わずかな期間とはいえ、デヴィット・チベットはISBがコミューン生活を営んでいたスコットランドに住居を移していた。ウェールズの都市ニューポートや、アイルランド西部(ナース・ウィズ・ウーンドのスティーヴン・ステイプルトンは80年代末にクレア州へと移住した)のように、この半島内の街々にはゲール文化や、それとは切り離せない自然が残っている。そこに魅せられたのはアンダーグラウンドの住人だけではなかった。ストロベリー・スウィッチブレイドのメンバーや、コクトー・ツインズのエリザベス・フレイザー、そしてモーマスのような耽美的反逆者たち。ポール・マッカートニーは66年の1月にキンタイア半島の隅にあるハイパーク・ファームを買い取った。ここから10キロ以上南にあるキンタイア岬で得た体験は、ウィングス「Mull of Kintyre」として昇華されている。

 カレント93がISBを介して大英帝国よりもはるか前の風景を幻視し始めた86年、同じくISBに心酔しながらペイガン派と異なるノスタルジアを探求するユニットがエジンバラ郊外で誕生した。ボーズ・オブ・カナダ(BoC)である。マイク・サンディンソンとマーカス・イーオンは幼少期に一年だけカナダで過ごしたことがあり、ユニット名はその時に目にしていた教育関係の番組を配給する会社「National Film Board of Canada」に由来している。カナダや故郷のテレビ越しに触れた教育番組やSFドラマの数奇なヴィジュアルと電子音、そして郊外の自然が持つ霊的なムードは、サンディンソンとイーオンの中で幼い頃の彼ら自身とともに生き続けている。それらをサンプラーに投げ込んで音楽として吐き出させた結果が、BoCの夢心地なサイケデリアなのだ。
2002年の『Play Twice Before Listening』の取材で、BoCの二人はISBと自分たちには共通するものがあると認めている。マイク曰く「ISBのレコードは全部持ってる。実際、彼らは僕らが今住んでいるところから出てきたんだよ。だから郊外に対する意識は、僕らと似てると思う。彼らはこの40年間で最も重要かつ過小評価されているバンドの一つだろう。多くのアーティストに影響を与えたのに、いまだ正当に評価されていない」。
80年代後半、自宅でカセットテープ(後に『A Few Old Tunes』として限定的に販売された)を作り始めた二人は、ヘキサゴン・サンと呼ばれるデザイナー、写真家、ミュージシャンなどの集まりに参加していた。英国都市部でレイヴが燃え上がっていたころ、ヘキサゴン・サンは郊外の森でキャンプファイヤーを開き、BoCはその現場でDJをしていた。マーカスは2005年の『WIRE』誌で、小規模なウッドストック的パーティーがもたらしたインスピレーションについて語っている。「50人から100人で火を囲む。珍しい音楽がエコーし、二つのメロディがぶつかり合うことで別の音が生まれる。左からはメロディ、右からは話し声、木々や気まぐれに吹く風が音楽にドップラーやフィルター効果を与える。そこでは普通のレコードにない、シュルレアリスティックなサウンドが現れる」。
ヘキサゴン・サンはシンボルマークに形を変えて彼ら本人やそのファンにまで浸透した。六角形はBoCにとってカバラ数秘術的な魅力を持つものであり、彼らに数字へのオブセッションをもたらす。その幾何学的かつオカルトめいた混乱を呼ぶ(音楽)理論は「Music70」という自主レーベル名から、楽曲の再生時間や機材のプログラミングまで、あまねく部分に広がっている。「Music Is Math」という曲は、ある意味で彼らをもっとも簡潔に説明しているのだ。

BoCが音楽に置換しているのは、彼らの潜在意識によどみ続ける風景と、目にしている「今」が重なることで生まれる記憶のモアレともいえる。同時多発的に起きていた複数の出来事、それらが今では「時と場所」の両方で追体験不可能であること自体へのノスタルジア(反戦ミュージカル「ヘア」のテーマソングと『セサミ・ストリート』が同居する「Aquarius」がわかりやすい例だ)。BoCの音楽はベッドルーム、クラブ、その間の道中、それ以外の時間と場所、あらゆる音楽と「場」の関係性を無化し、どこでも、いつでも入り込んでくる。その「過去と現代の不穏なコントラスト」は、そのままゴースト・ボックスの青写真となった。
出世作である98年の名作『Music Has The Right To Children』は、まるでマイクとマーカスの内面をブラウン管に映してみたかのようだ。ジャケットの中で佇む人物たちは「漠然と思い出されている」ように表情がない。「Telephasic Workshop」(もちろんレディオフォニック・ワークショップのもじりだ)や、60年代末から70年代初頭の子供向け番組からのサンプルがアクセントになった曲群は、夕暮れ時の黒みがかった空が持つ恐ろしさと居心地の良さを音で表している。この魔術的な魅力を放つ点で、『Music Has The Right To Children』は前年に出たカレント93によるマーダーバラッド決定版『All The Pretty Little Horses』の親類である。
実際に思い当たる出来事がなくとも、BoCの音楽はリスナーにデジャヴをもたらす。2005年の『The Camp Fire Head Phase』ではアコースティックギターとフィンガーノイズの音が使用され、BoCはISBの幻影とギャザリングしているかのようだ。しかし、彼らのようなコンテキストを共有していなくても、個々のリスナーは心地よさと一抹の不安がないまぜになった感情ことノスタルジアを、自己の内面から見つけ出す。BoCは並の「オカルティック」バンドよりも、よほど集合的無意識といった概念を信じさせてくれる。

戻る

(22.11/27)

面白かったらサポート