ブリティッシュ・アヴァンギャルド・ミューザック②

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60年代の社会的な波瀾は、パリ、プラハ、西海岸、日本、もちろん英国にもその余波が到達した。69年までの時点でアフリカ大陸にある旧大英帝国の植民地はほぼ独立し、所謂エスタブリッシュメント(主に保守党政治家)に対する敬意めいたものはが薄まっていたことは、当時人気を博したエンターテインメントの核が風刺であったことからもうかがえる。事実、63年に短期間放映されたテレビ番組『The Frost Report』、さらに同番組に出演していたジョン・クリーズらによる『Monty Python』シリーズは、そのシニカルさで大衆的な人気を得ていた。これら風刺的娯楽の露払いは、『The Frost Report』のデヴィット・フロストが司会を務めていた『That Was The Week That Was』だった。62年11月から始まったこの番組はBBC7代目会長カールトン・グリーンのアイデアを反映したもので、週ごとに話題となった著名人や政治家を皮肉まじりに取り上げる内容だったという。番組自体は二年で打ち切られたが、その理由は総選挙への影響が懸念されての圧力を受けたから、という噂もある(やがて64年の総選挙では労働党が勝利した)。
BBC初代会長のジョン・リースが、局の方針を敬虔なクリスチャン由来の啓蒙思想(経済的ではなく、キリスト教的な意味での豊かさを説くこと)に基づかせたことに対し、グリーンは通俗的で大衆目線であることを重視した。このようにして60年代のBBCは反権力的姿勢を間接的に支えていた。
世界中で既成の価値観が揺れ動いた60年代の変革性を、公営メディアが非プロパガンダ的な意味で伝えたことは大きかった。68年3月の午前12時5分から午前2時の間に毎晩放送されていた『Night Ride』のような番組が実現できたのも、グリーンの方針があってこそだといえる。

『Night Ride』は仕事で疲弊した者や不眠症患者のために刺激の少ない音楽をメインに流す番組だった。本来はロックなどのポピュラー・ミュージックを流すラジオ1と、高齢者向けの軽音楽(エレベーター・ミュージックやムード音楽を一くくりにした呼称としてよく用いられる)を流すラジオ2の間を繋ぐものとされた。この番組の水曜日担当になったのが、68年に海賊放送チャンネル「Radio London」からBBCへと移籍してきたジョン・ピールだった。かねてからアンダーグラウンドの文化を電波上で取り上げ、西海岸サイケデリック由来の出版物『International Times』に寄稿したことさえあるピールは、ここぞとばかりにメインストリームへ上がってくることのないカルチャーを積極的に紹介した。BBCのアーカイヴから引っ張ってきた古き電子音楽、非西欧のフォーク・ミュージック、果ては詩人をスタジオに招いての朗読が深夜のベッドルームやリビングへと流し込まれたのだ。このリベラル色濃い内容は、82年に開局した「チャンネル4」(左派系知識人や独立した制作会社を積極的に登用した)の精神に先駆けている。
 『Night Ride』は18ヶ月で終わったが、ピールはこのラディカルな伝達業をパンクが到来した時代でも継続させた。大量の自主レコードまたはカセットテープが毎週リリースされるようになったポストパンク時代において、「ジョン・ピール・セッション」は成功への通過儀礼的なものとなった。

ピールが番組内で推したバンドは数多いが、アヴァンギャルド・ミューザックという観点ならばYoung Marble Giantsを忘れてはいけない。今までに出てきた単語でこのバンドを説明するなら、「Night Ride」で放映されていたような軽音楽とロックを交配させたというのが適切だろう(「Music For Evenings」という曲さえある)。ギターはパーカッションめいた音を出し、朴訥とした「N.I.T.A.」のオルガンはRadiophonic Workshop製の電子音的な薄気味悪さも伴う。極めつけはアリソン・スタットンのつぶやきのようなボーカル(スチュアート・モクサム曰く「バス停にいるかのように歌う)だ。これらの非ロック的要素によって最終戦争の到来を想像させる「Final Day」は、非常事態を淡々と放送する公共機関が持つ不穏さ、『1984』的な空気に満ちている。
「批評精神がすべてだった」とスチュアート・モクサムは2020年に振り返っているように、YMGは思想に基づいた軽音楽、人を不安で落ち着かせるアヴァンギャルド・ミューザックだった。

 サッチャー(とレーガン)による市場主義主導の政治が第二次大戦後のセンシティブな感覚を薄めていくかたわら、デジタル化技術にはじまるテクノロジーの発展が、あらゆる表現の可能性を広げた。そんな80年代的パラノイアを経て登場したのが、YMG以上にロックのフィールドでアヴァンギャルド・ミューザックを体現したStereolabである。ティム・ゲインとレティシア・サディエール(ダダとギー・ドゥボールの信奉者)がMcCarthy解散後に結成したStereolabは、ビリー・ブラッグらに並ぶ左派志向だったMcCarthy時代から継承される現代(英国)批評に、サンプリング・カルチャーを合流させた。エレベーター・ミュージックやスペースエイジと呼ばれる50年代末~60年代のムード音楽(93年には『The Groop Played "Space Age Batchelor Pad Music"』なるタイトルのアルバムをリリース)とそれらが伝える過去、そのイメージをポピュラー・ミュージックとしてのロックへと持ちこんだのである。
 リーダーのティム・ゲインがかつてバンドを「ハイコンセプトなポップ・グループ」と説明したように、Stereolabは伝統的な60年代のフォロワーである。音楽やアートワークのデザインは意図ありきで、シチュエイショアニスト的に引用(転用)されたイメージ(初期のバンドのトレードマークであるイラストは、スイスで60年代に発行されていたアングラ雑誌『Hotcha!』からの引用であった)の多さがそれを物語っている。子供向け番組やラジオ2で流れる軽音楽風のオルガンとスペースエイジ的電子音には「失われた」というコンテキストが加えられ、少なくとも英国で育った一定の世代には、サッチャー政権以降から削られていった奇妙な公共の記憶が掘り起こされたことだろう。
※『Jenny Ondioline』と『Transient Random-Noise Bursts With Announcements』のジャケットは69年にリリースされたハイファイ録音のテスト用音源から引用された

21世紀以降のStereolabは型としてのロック・ミュージックから離れ、音楽的な意味でGhost Boxのアーティストたちへと接近していく。2006年の『Fab Four Stereolab』1曲目「Kyberneticka Babicka, Pt. 1」は、サイケデリック期のThe Beatlesとシャドーコーラス(ムード音楽に付き物だった効果音のようなバックコーラス)をミックスしたような楽曲で、The Belbury Polyことジム・ジュップによる「そこにいない人の声」を召喚するサイエンス交霊術のポップ版である。なお、『Dots and Loops』と先行シングル『Miss Modular』のアートワークを担当したのはGhost Boxのジュリアン・ハウスである。

86年、スコットランドはエジンバラの郊外に住むマイク・サンディソンとマーカス・イオンがBoards Of Canadaを結成した。マイクとマーカスは幼少期に一年だけカナダで過ごしたことがあり、ユニット名はその時に目にしていた教育関係の番組の配給会社「National Film Board of Canada」に由来している。幼少期の二人がカナダと故郷で目にしていた教育番組やSFドラマの電子音が、そのままBoCの原風景となった。彼らが音楽に置換したのは、曖昧でノスタルジックなムードと、高速で高解像度化していく現代が交差して生まれる記憶のモアレであった。VHSビデオテープのノイズまたはレコードのクラックノイズは、頭の中にかかっているモヤを音で表したかのようだ。98年の名作『The Music Has The Right To Children』収録曲「Telephasic Workshop」(もちろんRadiophonic Workshopをなぞっている)や、「Aquaryas」といった曲を改めて聴いてほしい。後者では『セサミ・ストリート』と反戦ミュージカル『ヘア』が同居し、去勢された60年代の風景がぼやけたまま再生される。


その名も「放送」であるBroadcastは、StereolabやBoCから沸き立つ過去の香りそのもののようなグループだ。ジェームス・カーギーとトリッシュ・キーナンを中心に、未来のGhost Boxアーティスト、ロイ・スティーヴンスとジュリアン・ハウスもレギュラーメンバーとして加わる。ほぼすべてのアートワークはハウスが担当しており、視聴覚面の両方でGhost Boxの原型としては最たる存在であった。特に90年代後半からアルバム『The Noise Made by People』にかけた期間に出た12インチのスリーヴは、グループの視線がどこに向けられているかを明確にするものだ。
 Broadcastのサウンドはライブラリーミュージックや60年代末から70年代初頭に放映されていたドラマを思い出させるサウンド(ほろ苦い和音とジャジーなバッキングが特徴)に、トリッシュ・キーナンの独白めいた歌が乗る。その振舞いはまるで『不思議の国のアリス』から『ウィッカーマン』に至る欧州的(ダーク)ファンタジーの登場人物のようで、非現実めいた雰囲気が強い。ペイガンなどの西欧フォークロアは、アカデミアの世界でも民俗学者ロナルド・ハットン(Ghost BoxからリリースされたThe Advisory CircleのCDに文章を寄稿したこともある)のような人物によって古くから研究されているが、BroadcastやGhost Boxの人々は、あくまでテレビやラジオから伝えられていたそれに執着する。2009年にジュリアン・ハウスのThe Focus Groupと連名でリリースされた『Investigate Witch Cults Of The Radio Age』はその集大成で、自らの記憶を客観的なデータで根拠付けることなく、ダイレクトに音やアートワークへと変換した試みだ。耳にした者の一部となり、頭の中にあるフィクショナルな空間のリアリティに気付かせる音楽=アヴァンギャルド・ミューザック。
 2011年にキーナンが亡くなったことでBroadcastは凍結した。2年後には彼女の生前最後の仕事としてピーター・ストリックランド監督『バーバリアン怪奇映画特殊音響効果製作所』のサウンドトラックが発売される。ホラー映画のための音響スタジオを舞台にしたキッチュすぎるストーリーに、古きテレビ・ラジオの子供たるBroadcastを招いたことは完璧だった。しかも、この映画にはNurse With Woundの楽曲で使われている叫び声が「音響」として使用されており、アヴァンギャルド・ミューザックの系譜という線上でBroadcastとNWWを整列させる。

2013年にカーギーとロイ、そしてハウスによって立ち上げられたChildren Of Aliceは、いくつかのコンピレーションへ提供した曲をコンパイルしたアルバムを2016年にリリースした。バンド名と同じ『Children Of Alice』というタイトルは、キーナンに捧げたものであるという。音楽は『Investigate Witch Cults Of The Radio Age』と近い方向性といえば察しがつくように、新自由主義によって洗い流されていった時代の記憶と、それに対するメランコリーに満ちている。刺激に欠けて直接的ではないが、ノスタルジアを喚起させることで逆説的に聴く者と現在を結びつける。これは現在が「そうなったこと」を思い出す時のBGMなのだ。
 ハウスとジム・ジュップは、マーク・フィッシャーと憑在論、資本主義リアリズム、「non place」(人類学者マルク・オジェが提唱した、空間の一定義。空港やショッピングモールなど、他者との出会いがなく、社会性の発展が起こらない個人なき空間)といった概念について話し合っていた。後期資本主義に対する逃避と抵抗がない交ぜになった思考の成果はわずかながらも残されている。フィッシャーはGhost Boxから出たPye Corner Audioの『Sleep Games』(2012)にnon-placeのコンセプトを提案し、同名の楽曲を録音させるに至った。Children Of Aliceに至っては2014年に「Liminal Space」という曲を発表している。これはネット上に同名のミームが氾濫するよりも前のことであった(詳しくはFNMNLの記事『【コラム】Liminal Spaceとは何か』を参照のこと)。

フィッシャーが先に挙げた諸概念からレイヴ・カルチャーの残滓を見いだしたことに対し、Ghost Boxの面々はクラブのサウンドシステムではなく自室のテレビやラジオのスピーカーから漏れ出る体験に集中し続けている。次はGhost Boxとその周辺のアーティストたちの音源について書いていかねばならない。


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(22.8/13)

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