SF替え歌 FilkとNeofolk

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Filkという音楽、あるいは文化と呼ぶべきだろうか。とにかくそれを知ったのは1ヵ月ほど前で、WIREDが2005年にアップしていた記事を見てのことである。Filkのルーツと実例を淡々と書いた内容で、詳細がわからないこともあり興味を持った。以下同記事から引用。

"アコースティック・ギターやクラリネット、ブーブーと鳴るカズー[管の底に羊皮紙や薄膜を張った笛で吹くとこっけいな音がする]の音色に乗せた彼らの歌は、一聴すると従来のフォーク・ミュージックによく似ている。だが、歌詞や演奏形式はフォークとは似ても似つかない。もっぱらSFやファンタジーの世界を歌の題材とするこの音楽は、フォーク(folk)ではなく「フィルク」(filk)というものだ。およそ20年前にフォークの周辺から生まれた独自のジャンルで、最近ではインターネット・ラジオやウェブを通じたダウンロード配信のおかげで注目を集めつつある。"

Youtubeの登場より少し前のことなのだろう。記事の中ではP2Pソフトウェアなど、今となっては懐かしい単語が並ぶ。

Filkとはどういう音楽なのだろう。上でリンクした記事を読む限りではフォークの曲に乗せてSFな詩を歌うものらしい。実際に聴くのが手っ取り早いので以下に一例を貼った。クトゥルフ神話について歌うものである。再生してみればわかるが、確かに音はフォークであった。しかし、フィルクで重要なのは詩であり、音楽はあくまで器に過ぎない。そしてフィルクを歌う集い、「フィルキング」を行なうことは、表現の型そのものよりも大切なことのようだ。

Filkの定義とは
英語版Wikipediaには多くの情報が記載されており、一つのシーン、一つのジャンルとして確立していることがうかがえる。以下はWikipediaやフィルクの一フォーラムなどネット上にアップされている資料に基づいて書いている。
Filkという名前はLee Jacobsという人物が「SFが現代のアメリカン・フォーク・ミュージックに与えた影響」というエッセイの中で、FolkをFilkと書き間違えたことから生まれたという。このエッセイは『Spectator Amateur Press Society』というAPA(Amateur Press Association)で発表されたもので、内容よりも誤字が面白いから掲載した、と記録されている。APAとは今でいうフォーラムのようなもので、アマチュアが集い意見等を発表し合う場の機能を果たしていた。ファンジンとも遠くない文化だと思っていいだろう。
SFファンの集いといえばSF大会、1939年から続くWorldconである。その名が生まれる前から、Worldconの中でFilkを歌う文化が生まれており、歌の内容はSF小説から時事問題にまで及んでいたという。大恐慌時代に放棄された建物の中で深夜に歌うこともあったようだ。主に詩と歌を書いていたのはニューヨークのFuturiansと呼ばれるSFファンたちで、これにはDamon Knight(『Twilight Zone』原案『To Serve Man』の著者)も名を連ねていた。

大々的にフィルキングがSFファンの間に浸透したのはWorldconの74年大会で、作家のRobert Asprinがイベント運営のために設立したボランティア団体Dorsai Irregularsの推進力を高める役割を果たしていた。Dorsaiとは『Childe Cycle』というSF小説に登場する人々のことで、資源に乏しい惑星で協力し合いながら生きているという設定らしい。それはともかく、RobertとDorsaiは結成を祝してホテルのロビーで夜通しフィルキングした。これがSFファンの(小規模な)お約束となり、今日まで続いているのであった。
コミュニティ内の連帯として歌が用いられることは何も珍しくないし、替え歌文化も想像に難くない。「蛍の光」など、民謡に後から歌詞が付けられるている例は日本でも多いだろう。正直に話すと、筆者がフィルクに関心を寄せた理由は、その歴史よりもネオフォーク文化ひいては、そのパイオニアであるDeath In Juneと重なる部分があったからだ。単に普段からこの手の音楽を聴いたり調べたりしているからだろうけど、偶然や心当たりに飛びつくのも仕事のうちなので、ここからはネオフォークの話となる。
Death In Juneのあるアルバムは替え歌というアイデアを採用しており、そこがフィルク的だという話だ。ついでなので、おまけに親類のようなアポカリプティック・フォークとCurrent 93についても軽く書いてみようと思う。

SFで繋がるアポカリプティック・フォークとFilk
横道なので先にアポカリプティック・フォークについて書く。始祖はCurrent 93、詩人にして神秘主義者David Tibetを座長とする一座である。84年に立ち上げられたCurrent 93は最初からフォークを導入していたわけではなかった。その音楽は所謂インダストリアル・ミュージックに括られるもので、大音量のノイズをバックにTibetが傾倒していたAleister Crowleyのチャントや、Tibet自身の朗読あるいは絶叫を記録したレコードを発表していた。当時の時点で型が決まりきっていたインダストリアル・ミュージックゆえにアイデアの行き詰まりを感じ始めていたTibetは、親しくしていた音楽ライター・Sandy Roberson(当時Tibetも寄稿していた『sounds』誌で執筆)と、現在はイラストレーターとして名高いSavage PencilことEdwin Pounceyから二つの音楽を紹介される(Pouncyは音楽ジャーナリストでもあったのだ)。一つは60年代末の西海岸サイケデリックを彩ったバンド、Loveの『Forever Changes』。もう一つは80年代の時点で半ば伝説化していたトラッド・フォーク歌手Shirley Colinsだ。荒々しいノイズとは正反対である嫋やかなギターの調べと歌の力に圧倒されたTibetは、常に詩として吐き出していた自らの黙示録的ヴィジョンをフォーク・ミュージックに乗せるアイデアを思いついた。それは半ば冗談、言葉遊びとしてアポカリプティック・フォークと名付けられた(同志の集まり=folksとも引っかけている)。
Current 93はTibetを中心に数多のメンバーが流動的に出入りする。幸運だったのは彼がフォークに開眼した時、ギターを弾ける人物がすぐそばにいたことだろう。その人物こそネオフォークのパイオニアとなるDeath In JuneことDouglas Pearceであった。ちなみにもう一人、グループの「ギタリスト」兼シンガーとして貢献していたのがRose McDowall、Strawberry Switchbladeでお馴染みの彼女である。ある時期までTibetはDeath In JuneやCOILのような仲間たちと集まっては、詩の朗読から北欧神話の情報共有、単に酒を飲んで談笑するといった時の過ごし方を繰り返していた。それはさながらフィルキング、SF大会に例えても間違いではないだろう。
結果的にCurrent 93はアポカリプティック・フォークという型を確立させることで、インダストリアル・ミュージックの一員という枠から抜け出した。その音楽に自身の言葉を乗せるだけでなく、中世の讃美歌やトラッド・ソングのカバーに取り組む機会も増えていった。
Tibetの世界観(現実をどう捉えているか、という意味で)には歴史上の神秘主義者や宗教懐疑主義者たちの陰が並び、その面々にはLovecraftのような怪奇小説作家たちも含まれている。こうした大家がFilkのネタとしても有名なのは言うまでもない。とりわけLovecraftへの思い入れは深く、90年代前半に友人たちと共同設立したGhost Story Press(怪奇小説の復刻を行なうレーベル)でも、Tibet監修で作品集を出すつもりだった。結局それは叶わず、同等に敬服するMR.Jamesらがそこに名を連ねた。
Tibetは90年代後半から米国の怪奇小説家Thomas Ligotti(53年生まれで熱心なLovecraft信奉者)と親睦を深めた。筆者はLigottiの著書に目を通そうとするも、自らの英語力の低さを痛感しギブアップしてしまったので、いつか邦訳が出版されることを願う。最近は映画化もされたのであり得ない話でもないだろう、たぶん。
Current 93とLigottiが初めて組んだのは97年の『In a Foreign Town, in a Foreign Land』。2000年には転生の概念に触れた大曲「I Have A Special Plan For This World」で作詞を行なっている。この頃はまだカルト的な人気の範疇を出なかったとされるLigottiとの連帯だが、上でも述べたように近年は映画化や、2015年にペンギン・ブックスが過去作を一斉に文庫化するなどLovecraftら大家と肩を並べんとする勢いである。それに呼応するかのごとく、Current 93が2018年に出した『The Light Is Leaving Us All』(名盤。聴いてください)には、自身の声と「ゴースト」のフィールド・レコーディングという役割で名を連ねている。彼にしか捉えられないものがあり、それが音楽に必要だったようだ。「I Have A Special Plan For This World」以来、実に17年ぶりの合流であった。Tibetがセレクションした怪奇小説オムニバス『The Moons At Your Door』(何故かLovecraftは未収録)も発売されたことだし、Current 93の音と言葉が響く場は一つのフィルキングなのだ。オチは特になし。

替え歌で繋がるネオフォークとFilk
Death In June(DIJ)の話に入る。上でも書いたようにフィルクが替え歌であることを知った時、筆者は真っ先にDIJを連想した。何故ならDIJが92年にリリースした『But, What Ends When The Symbols Shatter?』の大半はとある団体の替え歌であるからだ。そして、このアルバムによってDIJはネオフォークというジャンルを確立させる。アコースティック・ギターやバイキングたちの号令を思わせるホーンに代表されるアンプラグドな音楽をバックに、非(そして遠回しに反)キリスト教的世界観を示すというものである。その詩的ソースは異教で、ブラックメタルやペイガン・メタルのような分野にまで影響は及んでいる。DIJはネオフォークという名がまだ存在していない頃にそれを作り出し、パイオニアとして(一方的に)崇拝されることになる。
DIJ自体の解説もしておこう。これはDavid Tibetとも親しく、一時期までCurrent 93のメンバーでもあったDouglas Pearceによるプロジェクトである。もともとは社会主義的主張を訴えるパンク・バンドCrisis出身だった彼は、81年にバンドのメンバー数人とDIJを結成する(85年頃にPierceのソロ化)。ゴリゴリの左派だったはずが一転して、明らかにナチズムを想起させるモチーフを導入し、あっという間にその悪名を轟かせることとなった。まだマーシャル・インダストリアルというジャンルが出来るずっと前の話であり、今日ではなかなか魅力を感じづらい「タブーに切り込む」といった宣誓が危険を伴った時代である。ハッキリとナチズムの支持を宣言こそしなかったが、その曖昧な態度によってリトマス試験紙的な役割を果たすDIJが商業的に苦しむことは避けられなかった。彼らをナチス支持者と判断した一部のレコード店が取り扱いを拒否されることも珍しくなかったからだ。アルバムのアートワークに堂々とトーテンコップを使ったり、ナチス党歌を演奏したりするものだから、ドイツでは発禁になるのもやむなし。『But, What Ends When The Symbols Shatter?』はそんな苦難の道(自分で選んでるんだけど)を歩むバンドがいよいよ頭打ちとなった頃に作られた起死回生のアルバムだった。それは音楽的な質とは違う意味で、ナチスをモチーフにしていなかったことから、過去の作品よりはまだ売れるアテがあったのだ(同時期に友人たちが設立したレコード配給会社World Serpent Distributionの助けも大きい)。ちなみに初期のDIJはポストパンク、ゴシック・パンクといった形容が似合うロック・バンドの体を成していた。それがTibetらアポカリプティック・フォークの集いと合流することで、トラッドなサウンドと異教的インスピレーションに身を投じていくようになる。『Symbol』は西側の価値観に揺れる英国およびヨーロッパを黄昏に例えたようなアルバムで、郷愁を誘うギターの調べと水さしからこぼれる水滴を思わせるピアノがただただ美しい。

やっと本題。DIJが替え歌の題材としたマーダーバラッドは人民寺院(The People's Temple)のレコードだった。人民寺院とは1955年にJim Jonesが設立した宗教団体で、78年11月、ガイアナに作り上げた自分たちの街で900人を超える信者たちが集団自殺した事件で知られている。そんな人民寺院が73年にBrotherhoodというレーベルから出したLPがPeople's Temple Choirによる『He's able』だ。
二枚のアルバムを比較してみれば、まずはタイトルに気付くだろう。DIJの『Symbol』には「He's Disabled」という曲がある。他にも「Little Black Angel」は人民寺院側の「Black Baby」をモデルにしている(曲名自体はナチスのSSに付けられていたあだ名を採用した書名にちなむ)。興味深いことに、オリジナルとなる人民寺院のレコードも過去の曲の替え歌を含んでいる。「Black Baby」はNina Simonによる「Brown Baby」を作り変えたものである。

苦し紛れで出した替え歌アルバムがネオフォークの型を確立させた。ネオフォークという名前は当初ダーク・フォーク、ノアール・フォークといった名称と並ぶ商品のタグでしかなかった。しかし、それをジャンルにまで押し上げたのはDIJではなくファンたちだった。World Serpentのスタッフが言うには、当時大量に登場したDIJのフォロワーは「デス・イン・ジュニア」と呼ばれていたそうだ。
何故ここまで人気が出たのだろうか。ネオフォークは国を越えた反グローバリスト兼欧州保守派(盛り始めた時期はEU発足の93年にも重なる)およびヨーロッパ至上主義者たちにとってのコミュニケーションツール、SFファンらにとってのフィルキングの要になったのかもしれない。また、音楽的にもシンプルだから模倣しやすいという理由も少なからずあるだろう。数多のDIJフォロワーは言うなればDIJの替え歌なのだ。

政治的な諦観と個人的なトラブルを経て、英国とヨーロッパに見切りをつけたPearceは90年代末頃にオーストラリアへと移住した。移住先は19世紀のドイツ風建築が残るハーンブルク。現在でも彼はそこに住み続けており、扇動者になるわけでもなし、さながら隠者のような生活を続けている。(三島由紀夫も自決しなかったら、こうなってたんじゃないかと思わせる)。Brexitの決定やドナルド・トランプ政権誕生といった大事件の時にのみ行なうツアーを除けば、Pearceが歌うのは小さなギャラリーまたはライブハウスで少数の観客を前にした時だけだ。Youtubeにも時折アップされているその場では、しっかりとDIJ流のフィルク「Little Black Angel」といった曲が歌われていた。

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(19.12/7)