インダストリアル・ミュージックとハウス・ミュージックの交配的名作COIL『Love's Secret Domain』、言わずと知れたシューゲイザーのマスターピースであるMy Bloody Valentine 『Loveless』がそれぞれ30周年を迎えた。中心人物であるジョン・バランスとピーター・クリストファーソンが鬼籍に入っているCOILだが、当時のエンジニアであったダニー・ハイドの協力を経て、この度未発表デモ音源追加とリマスターを施したエディションが再発された。ライナーにはダニーと、ジャケットを描いたスティーヴン・ステイプルトン(Nurse With Wound)のコメントが添えられている。『Loveless』は新規のリマスター音源と、オリジナルのテープから起こした音源の2種を同梱したエディションが発売された。こちらは2012年以来の再発である。 COIL サイモン・レイノルズはセカンド・サマー・オブ・ラヴを局所的なポストパンクの復活と分析した。彼が70年代末から80年代前半にかけて夢中になっていたアーティストのいくつかが、このレイヴ現象に乗じて一段上のステージに到達していたからである。「インダストリアル」を例に挙げれば、パイオニアのジェネシス・P・オリッジは本来の出自であるヒッピー時代の再来と言わんばかりに、シカゴハウスをPsychic TVへと取り入れ、ロンドンのクラブ・シーンで巻き起こる快楽の波に飛び込んだ(奇しくも、88年から92年までの間に開かれた伝説的なパーティの一つに「Genesis」というものがあった)。PTVから分派したMekon(ジョン・ゴスリングのプロジェクト)やCOILも同じくレイヴ・シーンにコミットしていたが、COILはその音楽的発展とドラッグへの没入はPTVを遥かに超えていた。トライブという概念をレイヴ・パーティーに見出したジェネシスとは対照的に、COILは密室でひっそりとトランスするように音楽とドラッグに身を浸していた。それはアレクサンダー・シュルギンやテレンス・マッケナといったサイケデリック研究者に近い精神的な実験だった。 COILが91年3月に発表した『Love's Secret Domain』は掴みどころのないマージナルな音楽だが、その曖昧さがまさに混迷を極めたレイヴ・シーンを端的に表している。クラブでもスタジオでもドラッグに浸かり、新しい知覚の扉に開き続けていた彼らは、そのフィーリングを音楽として記録した。 先にも述べたようにCOIL『LSD』は当時のクラブ内交流があっての内容だった。象徴的な人脈がMeat Beat Manifestoのジャック・デンジャースで、彼は『LSD』からのシングル「Snow」でもリミックスを提供している。実に踊りにくいナンバー「Teenage Lightning」は、MBM『99%』(90年)収録の「Hello Teenage America」をサンプル(弾き直し)したものだ。『LSD』はダンス・ミュージックの影響を受けてはいるが、4/4なスタンダードに落ち着いているとは言い難い。フレーズと呼ぶにはあまりに凸凹なサンプル群が、エクスタシーやスマートドラッグで覚醒状態に陥ったメンバーへチューニングするようにデザインされているのである。その曖昧な輪郭を持つ音響の先鋭性は踊るための音楽を通り越して、20世紀最後のヘッド・ミュージックと呼べる発展へと繋がる。AutechreがCOILのフォロワーとなり、Warpの主力アーティストになったことは大きな意味を持っている。 MBV 地下中にはびこる様になったエクスタシーは、「セックスこそが最大のドラッグ」と言い張る「ロック・バンド」My Bloody Valentineの面々にも届いた。とりわけフロントマンであるケヴィン・シールズは、当時のバンドメンバーと共有していた課題(ビリンダ・ブッチャーのDV被害など)や睡眠障害に悩む日々をやり過ごすためにカナビス、そしてエクスタシーを摂取していた。この期間である88年8月の『You Made Me Realize』(タイトルとジャケットをトリップ経験時の回顧とみなさない方が難しい)と11月の『Isn't Anything』は、MBVの音楽性が大きく変わった転換点だった。ドラッグ経由のサイケデリアは時間の経過とともに当事者自身が行なう物語化から切り離されたり埋もれてしまいがちだが、Greatful DeadやThe Velvet Undergroundがそうだったように、複合的なアイデンティティを持った表現からドラッグ(とそれが容易に手に入る時代背景)だけを抜き出すわけにもいかない、とここに添えておく。 MBVがCOILに近づいた瞬間を挙げるなら、88年の実験的テイク「Instrumental No. 2」( Public Enemy「Security of the First World」をサンプルとして使用したインストで、後に『Isn't Anything』再発盤に収録される)を挟んでの90年シングル「Soon」だろう。ヒップホップやハウスにも夢中だったシールズのトレンドが色濃く反映された曲で、Happy Mondaysよりもクールかつ陶酔的だ。ブライアン・イーノが90年11月にMOMAで開かれた講演(『Symphony of Chaos』として『Melody Maker』 90年12月号に掲載)内で「Soon」を「チャート入りした中で最も曖昧(voguest)な音楽」と形容したことは、音楽的にも言語的にもイーノ育ちが多いポストパンク世代にとってのお墨付きを意味したに違いない。Throbbing Gristleなどのインダストリアル・リスナーでもあったアンドリュー・ウェザオールによる同曲リミックスを収めた12インチも決定的で、地域やジャンルごとの細分化が特徴であったポストパンク以降の英国音楽(の一部)が、レイヴ・シーンのもとに融解していく歴史の一ショットといえる。 当時のCOIL第3のメンバーにして楽器の演奏を担当していたステファン・スロワーにとって、『Love's Secret Domain』の録音中はダンス・ミュージックへの浮気に終わるのではないかという危惧もあった。だが、レイヴの熱が冷め、『LSD』発表後にメンバーがバッドトリップを迎えたことでそれは杞憂に終わった。 評者たち イーノはMBV「Soon」を「曖昧」と表現したが、この賞賛と混乱が入り混じった印象を抱いたのは彼だけではなかった。『WIRE』92年3月号にはマーク・シンカーによるMBVについての論考『Fatally Femme?』が掲載されており、そこでは今日のバンドに贈られるような絶対的な賛辞は見当たらない。シンカーは、ビリンダ・ブッチャーの「個人的なことを歌っている」という発言と、サイモン・レイノルズが90年8月に上梓した『Blissed Out』内でMBVを(これまでの男性原理的なロックバンドとは違う)女性的な音楽と称していたことをそれぞれ引用して、MBVが複数の意味で音楽の境界に揺らぎを与えていると指摘する。
87年の『Ecstasy』時点からMBVは男女比が均等の4人組となった(たとえば同世代のRideは男性4人)。シンカーとレイノルズにとっては米国のライオット・ガールと連動していたように見えていたのかもしれない。加えて、セカンド・サマー・オブ・ラヴからポストパンク最盛期(78~82年)と同じ熱狂を見出したレイノルズからすれば、MBVは同シーンに対するロックからの回答であり進化に見えたことだろう。彼のレイヴ体験は著書『Energy Flash』(98年)でも描かれており、ここで描写されるレイヴの様相とMBVを重ねることは案外簡単だ。バンドを象徴する幻想的なコーラスは、レイヴ・ミュージックでよく耳にできるそれにそっくりだし、逆回しやフィードバックで生まれたノイズを延々とループさせる「Gilider」は、フィルターによって放出されるガスのように変容したエレクトロニクス的である(ウェザオールによる「Soon」のリミックスはこの二点を強調している)。何よりも、現場そのものが鳴らしているかのように響く轟音ノイズ、その空間的な音響が生み出す忘我の時間は、DJとクラウドによって発現する場と共通していた。これらはロックバンドによる非ロック的体験とも言い換えられるし、逆説的にロックというフォーマットが進化したことを証明している。 80年代半ばから、パンク由来のアマチュア信仰とシンセポップ流行への反動として、典型的男性ギターヒーロー像を提示/暗示するロックバンドが復権した。だからこそあらゆる意味でマジョリティ寄りだった当時の音楽シーンを内側から溶かすMBVがレイノルズの目と耳を捉えたのだろう。 イーノがMBVから見出した「曖昧さ」はあくまで音楽性におけるものだけであった。シンカーやレイノルズのように、MBVやCOILらセカンド・サマー・オブ・ラヴの渦中で新しい音楽を作り出した面々が、その曖昧さをもって音楽業界にそびえるヘテロ信仰~マッチョイズムの壁をも溶かしていた現象を察知していた人はどれだけいるのだろう(今日ではMBVメンバー=ケヴィン・シールズの手足といわんばかりに、バンドではなく一個人的な焦点のあて方がされている)。パッケージされた結果だけに目を向けていては、当時の無意識が果たしていた破壊的な試みを見落としてしまうのだ。 |
---|