愛って曖昧:COIL『Love's Secret Domain』とMy Bloody Valentine 『Loveless』

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インダストリアル・ミュージックとハウス・ミュージックの交配的名作COIL『Love's Secret Domain』、言わずと知れたシューゲイザーのマスターピースであるMy Bloody Valentine 『Loveless』がそれぞれ30周年を迎えた。中心人物であるジョン・バランスとピーター・クリストファーソンが鬼籍に入っているCOILだが、当時のエンジニアであったダニー・ハイドの協力を経て、この度未発表デモ音源追加とリマスターを施したエディションが再発された。ライナーにはダニーと、ジャケットを描いたスティーヴン・ステイプルトン(Nurse With Wound)のコメントが添えられている。『Loveless』は新規のリマスター音源と、オリジナルのテープから起こした音源の2種を同梱したエディションが発売された。こちらは2012年以来の再発である。
一見すると縁がなさそうな二枚であるが、録音された期間が88年から91年と長期間に渡っている点で共通している。大量の曲とテイクのせいでパッケージングに時間のかかった『LSD』、スタジオを転々とする内に費用がかさみすぎて停滞した『Lovelss』と事情は色々だが、その時期に丸々重なるセカンド・サマー・オブ・ラヴの影響を受けているのは間違いない。
セカンド・サマー・オブ・ラヴを簡潔に説明するならば、88年の英国中心に起きたレイヴ・ムーヴメントのピークであり、ヨーロッパへ持ち込まれたシカゴハウス~アシッドハウスが社会現象的に拡散した時期である。ハードなダンス・ミュージックと、エクスタシー(E)ことMDMAに代表されるドラッグによって形作られたムーヴメントは、Stone RosesやHappy Mondays「踊れるロック」に代表されるマッドチェスターとして大輪の花を咲かした。クラブではあらゆるジャンルがDJによって折衷的にプレイされ、数多の音楽が一つの音楽へ再構成されたとも表現できる。少なくともこの時期の「バレアリック」とはそういう意味をもって使われていた。

COIL

サイモン・レイノルズはセカンド・サマー・オブ・ラヴを局所的なポストパンクの復活と分析した。彼が70年代末から80年代前半にかけて夢中になっていたアーティストのいくつかが、このレイヴ現象に乗じて一段上のステージに到達していたからである。「インダストリアル」を例に挙げれば、パイオニアのジェネシス・P・オリッジは本来の出自であるヒッピー時代の再来と言わんばかりに、シカゴハウスをPsychic TVへと取り入れ、ロンドンのクラブ・シーンで巻き起こる快楽の波に飛び込んだ(奇しくも、88年から92年までの間に開かれた伝説的なパーティの一つに「Genesis」というものがあった)。PTVから分派したMekon(ジョン・ゴスリングのプロジェクト)やCOILも同じくレイヴ・シーンにコミットしていたが、COILはその音楽的発展とドラッグへの没入はPTVを遥かに超えていた。トライブという概念をレイヴ・パーティーに見出したジェネシスとは対照的に、COILは密室でひっそりとトランスするように音楽とドラッグに身を浸していた。それはアレクサンダー・シュルギンやテレンス・マッケナといったサイケデリック研究者に近い精神的な実験だった。

COILが91年3月に発表した『Love's Secret Domain』は掴みどころのないマージナルな音楽だが、その曖昧さがまさに混迷を極めたレイヴ・シーンを端的に表している。クラブでもスタジオでもドラッグに浸かり、新しい知覚の扉に開き続けていた彼らは、そのフィーリングを音楽として記録した。
COILがドラッグに没頭した理由は、中心人物のピーター・クリストファーソンとジョン・バランスが同性愛者であったことも関係している。80年代前半からAIDSの脅威と患者への偏見が広がり始めたせいで、コミュニケーションとしてのセックスが危険を伴うものとなったのだ。MDMAがエクスタシーの名で広まったことは、セックスの代替えとしてのドラッグとダンスを象徴づける事実である。ロンドンのゲイ・カルチャー発火点の一つになっていたクラブ「Heaven」では、88年4月にDJのポール・オークンフォルドが「Spectrum」をスタートさせ、随一の人気パーティーとなった。

先にも述べたようにCOIL『LSD』は当時のクラブ内交流があっての内容だった。象徴的な人脈がMeat Beat Manifestoのジャック・デンジャースで、彼は『LSD』からのシングル「Snow」でもリミックスを提供している。実に踊りにくいナンバー「Teenage Lightning」は、MBM『99%』(90年)収録の「Hello Teenage America」をサンプル(弾き直し)したものだ。『LSD』はダンス・ミュージックの影響を受けてはいるが、4/4なスタンダードに落ち着いているとは言い難い。フレーズと呼ぶにはあまりに凸凹なサンプル群が、エクスタシーやスマートドラッグで覚醒状態に陥ったメンバーへチューニングするようにデザインされているのである。その曖昧な輪郭を持つ音響の先鋭性は踊るための音楽を通り越して、20世紀最後のヘッド・ミュージックと呼べる発展へと繋がる。AutechreがCOILのフォロワーとなり、Warpの主力アーティストになったことは大きな意味を持っている。

MBV

地下中にはびこる様になったエクスタシーは、「セックスこそが最大のドラッグ」と言い張る「ロック・バンド」My Bloody Valentineの面々にも届いた。とりわけフロントマンであるケヴィン・シールズは、当時のバンドメンバーと共有していた課題(ビリンダ・ブッチャーのDV被害など)や睡眠障害に悩む日々をやり過ごすためにカナビス、そしてエクスタシーを摂取していた。この期間である88年8月の『You Made Me Realize』(タイトルとジャケットをトリップ経験時の回顧とみなさない方が難しい)と11月の『Isn't Anything』は、MBVの音楽性が大きく変わった転換点だった。ドラッグ経由のサイケデリアは時間の経過とともに当事者自身が行なう物語化から切り離されたり埋もれてしまいがちだが、Greatful DeadやThe Velvet Undergroundがそうだったように、複合的なアイデンティティを持った表現からドラッグ(とそれが容易に手に入る時代背景)だけを抜き出すわけにもいかない、とここに添えておく。

MBVがCOILに近づいた瞬間を挙げるなら、88年の実験的テイク「Instrumental No. 2」( Public Enemy「Security of the First World」をサンプルとして使用したインストで、後に『Isn't Anything』再発盤に収録される)を挟んでの90年シングル「Soon」だろう。ヒップホップやハウスにも夢中だったシールズのトレンドが色濃く反映された曲で、Happy Mondaysよりもクールかつ陶酔的だ。ブライアン・イーノが90年11月にMOMAで開かれた講演(『Symphony of Chaos』として『Melody Maker』 90年12月号に掲載)内で「Soon」を「チャート入りした中で最も曖昧(voguest)な音楽」と形容したことは、音楽的にも言語的にもイーノ育ちが多いポストパンク世代にとってのお墨付きを意味したに違いない。Throbbing Gristleなどのインダストリアル・リスナーでもあったアンドリュー・ウェザオールによる同曲リミックスを収めた12インチも決定的で、地域やジャンルごとの細分化が特徴であったポストパンク以降の英国音楽(の一部)が、レイヴ・シーンのもとに融解していく歴史の一ショットといえる。

当時のCOIL第3のメンバーにして楽器の演奏を担当していたステファン・スロワーにとって、『Love's Secret Domain』の録音中はダンス・ミュージックへの浮気に終わるのではないかという危惧もあった。だが、レイヴの熱が冷め、『LSD』発表後にメンバーがバッドトリップを迎えたことでそれは杞憂に終わった。
一過性の出来事ゆえに、スロワーは後年になって『LSD』を形作った要素が「新種のドラッグとテクノロジー」であると断定した。それは当時の「新しい音楽」においても同様だったのだ。少なくともレイヴ現象下で生まれたダンス・ミュージックはこれに該当するだろう。ピアノと実験的な音響によるレコードを作っていたロバート・ヘイがOmni Trioになれたのは、AMIGA 500とProTrackerがあってこそのものだった。
『LSD』と『Loveless』はサンプラー(COILはAKAI MPC60、MBVは同社のS950)を使い倒すことで作られた。もともとCOILはフェアライトを早期から導入しており、1秒弱に切り取られた音をさらに発展させる、錬金術的な音作りに長けていた。こうしたミニマムからマキシマムへと至る作曲方法は、『Loveless』制作時に取り組まれた実験と共通している。1つのテイクを複数コピーし各自に異なるコンプ処理を施す重層化や、サンプルしたフィードバックノイズをシーケンサーで走らせ「ノイズに歌わせた」ことはその好例だろう(『GUITAR MAGAZINE』2021年6月号のMBV特集はこのあたりの背景と技術的な事情がシールズ本人の口から説明されている)。奇しくもMBVドラマーのコルム・オコーサクがサンプラーだけで作った小曲「Touched」と、同じくサンプルの繋ぎ合わせだけで作られた『LSD』の「Chaostrophy」はそっくりだ。オルタード・ステーツ下でこれらブツ切りの音楽を摂取したら、と想像してみれば、両者が似通ったことを多少は納得できる。

評者たち

イーノはMBV「Soon」を「曖昧」と表現したが、この賞賛と混乱が入り混じった印象を抱いたのは彼だけではなかった。『WIRE』92年3月号にはマーク・シンカーによるMBVについての論考『Fatally Femme?』が掲載されており、そこでは今日のバンドに贈られるような絶対的な賛辞は見当たらない。シンカーは、ビリンダ・ブッチャーの「個人的なことを歌っている」という発言と、サイモン・レイノルズが90年8月に上梓した『Blissed Out』内でMBVを(これまでの男性原理的なロックバンドとは違う)女性的な音楽と称していたことをそれぞれ引用して、MBVが複数の意味で音楽の境界に揺らぎを与えていると指摘する。


MBVのサウンドは一種の象徴的な決定不可能性を持っている。彼らの音楽が変化を促すのか、それとも停滞させるのか、自分が彼らにどういった理由で魅かれているのか、オーソドックスな見方では判断できないのだ。(中 略) 彼らが表しているのは(ドラマ化しているのは)、アートとその世界における混乱と統制、存在と不在、アクセス性と需要の両極性であり、(私が思うに)それは彼らのサウンドと同様に、バンドのジェンダーバランスと関係がある。

87年の『Ecstasy』時点からMBVは男女比が均等の4人組となった(たとえば同世代のRideは男性4人)。シンカーとレイノルズにとっては米国のライオット・ガールと連動していたように見えていたのかもしれない。加えて、セカンド・サマー・オブ・ラヴからポストパンク最盛期(78~82年)と同じ熱狂を見出したレイノルズからすれば、MBVは同シーンに対するロックからの回答であり進化に見えたことだろう。彼のレイヴ体験は著書『Energy Flash』(98年)でも描かれており、ここで描写されるレイヴの様相とMBVを重ねることは案外簡単だ。バンドを象徴する幻想的なコーラスは、レイヴ・ミュージックでよく耳にできるそれにそっくりだし、逆回しやフィードバックで生まれたノイズを延々とループさせる「Gilider」は、フィルターによって放出されるガスのように変容したエレクトロニクス的である(ウェザオールによる「Soon」のリミックスはこの二点を強調している)。何よりも、現場そのものが鳴らしているかのように響く轟音ノイズ、その空間的な音響が生み出す忘我の時間は、DJとクラウドによって発現する場と共通していた。これらはロックバンドによる非ロック的体験とも言い換えられるし、逆説的にロックというフォーマットが進化したことを証明している。

80年代半ばから、パンク由来のアマチュア信仰とシンセポップ流行への反動として、典型的男性ギターヒーロー像を提示/暗示するロックバンドが復権した。だからこそあらゆる意味でマジョリティ寄りだった当時の音楽シーンを内側から溶かすMBVがレイノルズの目と耳を捉えたのだろう。
イーノが「Soon」を「後のポップのスタンダード」と評したことは、より飛躍した形で正当化された。「Soon」どころか『Loveless』というアルバムがシューゲイザーという1ジャンルの規範になったのだから。そしてイーノが預かり知らぬ(?)ところで、COILもAutechreらテクノ・スタンダードの源泉になり、やがてIDMと呼ばれるジャンルにもかなり早い段階で合流するようになる。ピーター・クリストファーソンの仕事に限れば、オートチューン的な合成音声の分野にも先駆けていた。

イーノがMBVから見出した「曖昧さ」はあくまで音楽性におけるものだけであった。シンカーやレイノルズのように、MBVやCOILらセカンド・サマー・オブ・ラヴの渦中で新しい音楽を作り出した面々が、その曖昧さをもって音楽業界にそびえるヘテロ信仰~マッチョイズムの壁をも溶かしていた現象を察知していた人はどれだけいるのだろう(今日ではMBVメンバー=ケヴィン・シールズの手足といわんばかりに、バンドではなく一個人的な焦点のあて方がされている)。パッケージされた結果だけに目を向けていては、当時の無意識が果たしていた破壊的な試みを見落としてしまうのだ。


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(21.7/21)