The WIRE 2010年12月号 Invisible Jukebox William Bennett

10年近く前になるインタビューだが、印刷されたものが少ないため、貴重な証言の一つになっている。ラジオの出演や、オノ・ヨーコについての講演など、人前には結構出ているので、その辺りの文字おこしを誰かにお願いしたい。原文はネットには上がっていないが、妙に渋いアーティストフォトがデカデカと掲載されているので、ぜひ探してみてほしい。カットハンズとして音源を発表していく直前のインタビュー。


#1. Essential Logic / Music Is A Better Noise 『Music Is A Better Noise』から

[笑う]ローラ・ロジックだ。曲はわからないが。

-奇妙な音楽で、ふしぎなグループです。

スティーヴン・ステイプルトンと初めて会った時を思い出す。彼がヨーロッパ中を廻って集めた奇妙なレコードのコレクションの中で「普通」と呼べるものは二枚だけ。エッセンシャル・ロジックの12インチはその一つだった。

-ローラとはどのように知り合ったのですか。

初めてロンドンへ行った時はバンドに入るのが目的だった。パンクの絶頂期でセックス・ピストルズが大好きだったんだ。彼らは私の想像に応えてくれた唯一のグループだった。
もしMTVのような音楽番組を小さな音量で見てみたら、そこではエキサイティングな出来事が起こっているように思えるだろう。しかし、実際に音量を上げて曲を聴いてみたらガッカリすることは珍しくない。だから私は(実際に確かめるべく)めちゃくちゃなオーディションでもなんでも足を運んだ。ウェンブリーにあるローラ・ロジックの家で行なわれたものも、その一つだった。彼女は良き家族と共に暮らしていて、会いに来た私をベッドルームへと案内してくれた。ローラはベッドに座り、私たちはお喋りを交わした。
物事が進んだのはリバプール通りにある小汚いリハーサル用のスタジオに行った時のことで、その時にとても奇妙なバンドが誕生したんだ。サックスが二人いて、ローラはとてもおかしく且つ抑揚のある声を持っていた。彼女と私は同い年で互いに若かったが、バンドを一緒にやる上で私は邪魔者(注・原文はnightmare)だった。当時、そして今でも私は音楽を気にするあまり、それを掌握したくなってしまうんだ。何事も私が思い描くようにしたくなるから、これではバンドとしては上手くいかないと悟った。このように、私の音楽に対する考え方は早い段階で変わった。


#2. Robert Rental & The Normal / Live At West Runton Pavilion, 6-3-79 『Live At West Runton Pavilion , 6-3-79』より

ハハ、知ってるはずなんだが出てこないな。

- ロバート・レンタルとトーマス・リアです。

オー、わからなかったとはおかしいな。彼らのツアー中は毎晩同じセットだったのに。ダニエル(注・ザ・ノーマルのダニエル・ミラー)とは音楽について長々と話し合ったよ。彼は風変わりな母親と暮らしていて、家へお茶をしに行ったものだ。当時は彼が自室でミュート・レーベルを始めたころで、部屋中にザ・ノーマルの7インチが入った箱が置いてあった。ダニエルと交わした会話、音楽にまつわるそれは実にインスピレーションに富んでいた。彼は音楽の発展について明確なヴィジョンを持っていたし、私がエッセンシャル・ロジックを抜けた後に始めたカムの制作も手伝ってくれた。

-エッセンシャル・ロジックのような音楽性を拒否し、カムやホワイトハウスのようなそれに行き着いた理由はなんだったのですか?

それは突然やってきて、リアルなパラダイムシフトだった。私はギターを上手く弾けたんだが、手慣れた楽器を使うことなく音楽を作ろうと決心したんだ。私たちはピュアなエレクトロニック・ミュージックが当時どれだけ少なかったかを忘れている。ほとんど存在していなかったんだ。ダニエルは実に先見の明があった。彼がいなければ私はエレクトロニック・ミュージックの方向へは進まなかっただろう。彼はこの曲でも使われているWASPのシンセサイザーを売ってくれた。それがホワイトハウスの機材となり、ファースト・アルバムはそれで作られている。


#3. Nurse With Wound / Soliloquy For Lilith 『Soliloquy For Lilith』から

アルヴィン・ルシエだろうか? スティーヴン・ステイプルトンの昔の作品かな?これは彼?

-そうです。『ソリロキー・フォー・リリス』です。

その、彼と彼の作品には多大な敬意を抱いているよ。しかし、これは私の好みからは最も離れたものだな。理由はどうあれ、この作品から彼のテイストは変わった。それまでに出したアルバムでは沢山の作業が落とし込まれているように思える。彼はIPSというスタジオを毎週金曜の夜にブッキングしていて、一年ほどテープをとてつもなく几帳面に刻み続ける日々を過ごしていた。理由はわからないが、そのやり方をやめて以降、彼は音楽を出来る限り早く完成させるようになった。何故そうなったか、私なりの見解はあるが憶測にすぎない。彼のヴィジュアル・アートにも同じことが言えると思うんだが、その細部への拘りが突如なくなってしまったんだ。
私たちは二、三年間にわたって良き仲だった。彼のアティチュードはこれ以上ない程にレフトフィールド、本流から離れたものだ。彼と友人になれたことは、私の音楽性にとっては最良の出来事だったと言える。


#4. Maurizio Bianchi / Auschwitz  『Symphony For A Genocide』から

参ったな、スロッビング・グリッスルかな?いや、これは知っているはずなんだ...恥ずかしいな、音はわかるのに名前が出てこない。

-マウリッツォ・ビアンキです。

スッキリしたよ。これは聴いたことがなかったな。彼に手紙を書いたら、山のようにカセットを送って来たことを覚えている。カセットは音楽のメディアとしても好きなんだ。

-レコードにホロコーストなどのトピックを使うことに対する反響について、どの程度意識していますか?

ある一面で、芸術とは何かしらの悲劇にまつわるものだ。何かしらの物事を取り組むべきでないタブーとみなす理由はわからない。
ドイツでライヴをした時に取材を受けたら、インタビューする側はいつもブーヘンヴァルト収容所の話題を持ち出し、敬服しましたかと尋ねてくる。収容所がドイツにあった、ただそれだけのことなのにだ。言い換えれば、彼らは言及しないことに不安を抱いているんだよ。ロックやクラシックを見れば、それらに触れている一節は古くから存在しているし、たくさん確認できるというのに。

ドイツでメルツバウやエイフェックス・ツインも出演したショー(2003年ベルリンのフォルクスビューネでの公演)には何千もの人々が見に来ていた。翌日にはドイツのメインストリームであるプレスにレヴューが載ったのだが、いくつかのプレスは私が白のシャツでフィリップ・ベストが赤のシャツ、加えて二人とも黒のズボンを身に着けていたことから25年ほど前(註・ホワイトハウスが『ブーヘンヴァルト』をリリースした辺りの時期)を連想したんだ。ここから人々の心理、喚起した思考を正当化するためのこじつけ(原文はtrans-delivational)が確認できるだろう。

そこにはイタズラの要素がある。ある程度まで芸術は悪ふざけそのものだとも私は考えている。にもかかわらず、人々はそこに単純とはいえない何かを見出すんだ。何よりもライヴ時のフィリップのシャツは赤ではなくピンクだったんだよ!
いつも思っているのは、ホラー映画は音楽が流れていない時の方が怖いということ。なぜなら恐ろしい音楽というものは映画監督との契りの一つであり、我々はそれによって映画であることを認識しては満足するからだ。パフォーマンスからロックンロールであるという前提を取り去ると人々は自身のイマジネーションに取り残され、現場は恐ろしく、かつパワフルな雰囲気になる。意図の説明を避けるために、私たちは同じ手段をとらないようにしていた。それは人々の経験に限界を設けないことに役立っていると思う。


#5. The Gerogerigegege / Show Me 『William Bennett Is My Dick』から

これ、ゲロゲリゲゲゲ?とても面白いのは、この曲によって「ナントカカントカは俺のちんちん」というフレーズが一つの型になったということだ。
ジャパニーズ・ノイズという呼び方は80年代中期には使われていなかった。ユナイテッド・デアリーズやカム・オルグの時代、これらのリリースのほとんどは日本で売れていたんだよ。私たちはレコードやカセットに住所を書いていたから、日本から沢山のテープが届いた。80年代初期に秋田昌美が送ってきたテープはオリジナルをまだ持っている。
皆、メルツバウをノイズのゴッドファーザーと呼んでいるし、私もその栄誉を取り上げるつもりはないのだが、80年代後半までの彼の作品はノイズではなかった。ナース・ウィズ・ウーンド的なガサゴソ、カランコロンと鳴るスタイルのそれだった。今日私たちが言うノイズ、大量のエフェクター・ペダルとともに男が床を這いまわるようなそれは、当時の慣習的なスタイルにはなかったものだ(注・原文はcomformist:慣行に従う人の意)。確かなのはマゾンナやメルツバウ、インキャパシタンツにゲロゲリゲゲゲといった日本の作り手がそれを何もないところから編み出したわけではないこと。彼らはとても折衷的なんだ。
「どうやってボーカルを録っているのですか?」と尋ねる手紙を(日本から)受け取ったことを覚えている。日本では皆アパートの一室を借りて暮らしているため、ボーカルを録るのが難しいんだ。私は声を素材にしたものが好きだから、車で高速道路を走行中にボーカルを録音するアイデアを思い付いた。誰にも聞こえやしないだろうから、車内では好きなように叫べるだろう。実際にこのアドバイスが受け入れられたかどうかは知らないがね。その手紙の送り主が車を持っているかどうかも考えてなかった。

#6. Zeitkratzer  / Untitled 『Metal Machine Music』から

ツァイトクラッツァーだと思う。

-その通りです。

どの作品?『メタル・マシーン・ミュージック』?オリジナルよりも良いと思う。

-ノイズ・ミュージックを作る上でのポイントは何でしょうか?

彼らがどのようにルー・リードや灰野敬二と作業したかはわからないが、ラインホルト・フリーデルは彼らはみな楽譜の読み書きはできなかったと言っていた。

-あなたはできますか?

できる。そしてこれが私と、こうした音楽を作る人々の違いだ。私は作曲と演奏が出来るところから今の世界を選んだ。他の人々はアヴァンギャルドな音楽が入り口だった。そうでなかったら(まともな音楽の世界では)受け入れられなかっただろう。

-『メタル・マシーン・ミュージック』をノイズ・ミュージックの元祖とみなすことについてはどう思われますか。

バカげているな。ルー・リードについて考える時、何であれ彼は違う場所から来ている。彼の根底にある意図は、このレコードが好きな人々が思うそれとは同じでない。「ジミ・ヘンドリックスは誰よりも早くノイズを作った」と言うようなものだよ。彼はノイズ・ミュージシャンではないし、灰野敬二でもない。本質的にリードがロックンロール抜きで音楽を作るとは思えないな。それこそが彼の特別な決意なんだ。

-あなたにとってのそれはなんですか?

人々を見知らぬ場所へ連れて行くこと。森の中へ引きずり込むことだ。(注・原文はinto the woods。out to the woodsで危険から逃れるという意があり、それにひっかけた逆の意味として用いている可能性もある)

-なぜ?

それに興味があるから。

-人々はそれを求めていると思いますか。

私がそれを必要としているし、自身がそうされることも好きなんだよ。みなもそれをやればいいと思う。(今まで自分によって)引きずり込まれた人々は多かったと思いたいね。映画を見たり、音楽を聴いたり、本を読んだりするにあたって、私は操られたいんだ。聞こえの悪い言葉を使うならば蹂躙されたいんだよ。操られ、あちらの望むままにトリックをかけられたいんだ。これはとても公正なゲームで、楽器を演奏するようなものだ。この世で得られる最高のフィーリングだ。


#7. Baby’s Gang / America 『Challenger』から

ベイビーズ・ギャング。「チャレンジャー」?

-違う曲ですね。

[シンセを口ずさむ]「アメリカ」。彼らはファンタスティックなグループだ。私は85年にロンドンを離れてスペインに移ったんだが、その理由はバルセロナで行なったショーが素晴らしかったからだ。移住することでライフスタイルは完全に変わった。人生において最良の出来事に数えられる転機ともいえた。
現地では小さなトランジスタラジオを手にビーチを歩き回りながら、地方のラジオ番組を耳にしていた。この曲はいつだってプレイされていたね。

-イタロディスコへの関心はノスタルジアからくるものですか?

こうした音楽が持つワンダフルな感触こそが新たなライフスタイルの支えだった。これらを耳にしてから数年後、レコード店で再び耳にしたので何の曲だったか思い出してみたら、あの素晴らしい時期まで思い起こして涙が出たんだよ。その曲はベイビーズ・ギャングではなく、ミコ・ミッションの「ハウ・オールド・アー・ユー?」、イタロディスコのクラシックだった。「マジか、あの曲じゃないか」といった具合だ。
そこからイタロディスコと呼ばれるようなレコードを探すようになった。ヨーロッパでディスコ・ミュージックが落ちぶれたことは一度もない。多くの人々はこう考えないだろうが、あれらの音楽はプログ・ロックから続くものなんだよ。プログ・ロックの連中がドラムマシーンやシンセを弄り回してヨーロッパ発のポップ・ミュージックを生み出したんだ。似た試みは英国でも起こって、私たちもそこから続いている。全く異なる方向へと進みはしたがね。


#8. John Coltrane / My Favourite Things 『The Olatunji Concert: The Last Live Recording』から

[21分からスタート]コルトレーン。ジョン・コルトレーンだ。この時期は大好きだよ。

-オラトゥンジでのコンサートです。録音されたものでは生前最後のもので、アフリカからドラマーも参加しています。

驚異的だね。彼の人生が表れているようだ。

-これとホワイトハウスのカタルシス的なショーとの間に共通点はありますか?

ある。フィリップと私の二人体制でショーを始めた頃はどんな編成にするかよく考えていた。人々は意識していないだろうが、私は明らかに譲歩していた。ショーの終わり–宗教的な言葉を使いたくないが–ほぼスピリチュアルな結果を伴なったそれを確認するためにね。オーディエンスが笑うような場面でないのに笑う時、我々は満足できるような場所にいるということだ。ホワイトハウスのショーでは普段見られないものだよ。表向きでは我々は罵詈雑言を投げつけ、あらゆる冒涜行為をはたらいているが、終わってみれば聴衆は快楽的な儀式を体験したように感じるんだ。

-なぜ冒涜的なことをするのですか。

する価値があるからだ。何故か?そうすることでしか連れていけない場所に行くためだ。言葉で説明するのは難しい。宗教的あるいは秘境的でない喩えを模索している最中なんだ。我々はライヴ中に表れるその瞬間へ行くため、価値のあるもの全てを応用する。そこは特別な場所となるんだ。


#9. Led Zeppelin / Babe I’m Going To Leave You 『Led Zeppelin』から

テリー・リードかな?ツェップだろうか。ロバート・プラントの前はリードがシンガーになる予定だったんだ。彼の『リヴァー』は素晴らしいレコードだよ。感想はこんなものだが、ここから何を聞きたいのだろうか。

-かけた理由はいくつかあります。ホワイトハウスはこのように気取ったロック・バンドのショーや、セックスへ焦点をあてながら、それを覆しています。

もっともだ。我々は音楽としてではなくセックスとしてロックンロールに従事することを合理化している。つきつめれば、ホワイトハウスはセックスについてのものだとも言い表せる。セックスを目にする時、そこには多くのヘビーメタルやデスメタルが歌っているものが存在しているけど、それらは完全にタブーとされている。他の恐ろしい、ホラーな物事については言及されるだろうが、セックスとなると全く触れられない。ノイズ・バンドにも同じ事が言えるね。もし我々が(早くから)ロックンロールはセックスであると理解していたら、当時のツェップは–彼らが好きなことを後ろめたいと思ったことはないが–セックス・ミュージックだ。
「マイ・コック・イズ・オン・ファイア」や「アイム・カミング・アップ・ユア・アス」といったタイトルを問題視する人々は多いが、それは彼らにとってセックスは問題のあるものだからだ。

-ホワイトハウスは今でもロックンロールの熱情を持っていますか?

共通しているのは原初のブルースだ。その感覚は明示されていて、曖昧にはしていないよ。しかし人々が満足するにあたって、それは主題にならない。そういう認識を強調すると聴衆は動揺するものだ。アヴァンギャルドな音楽にも同じことが言えるし、それは消費することとも言い換えられる。この先もこれは変わらないだろう。女性に惹かれるということは、男性に惹かれるということに勝るとも劣らない大いなるタブーなんだよ。


#10.  Ray Brassier, Jean-Luc Guionnet, Seijiro Murayama, Mattin  / Idioms And Idiots 『Idioms And Idiots』から

さっぱりだ。

-現代音楽の録音です。

そのように聞こえる。ツァイトクラッツァーではない?ヒントが欲しいな。

-哲学者と音楽家によって作られている音楽で、ヨーロッパ的な理論が背景にあります。

用いているのは思弁的実在論、だろうか?

-レイ・ブラシエです。

なるほど。マティンとの作品か。

- ご興味は?

これが何を示しているのか理解出来たら、面白いかもしれない。

-彼らならこれを説明するために大量の小論を収めたブックレットを読ませてくれるでしょう。

それを読んでみたいな。言い換えれば、聴くだけではそのアイデアをすべて理解できないということか。その意図には共感こそ覚えるが、私の方法は個人的なもので、他の文化的コンテキスト又はそうでない作法といったものは含んでいない。さきほど影響元や、そうでないものについて話したが、私が最初に作った幾つかの音源は他のレコードからの影響があった。しかし、それ以降に作ったもの全ては個人的なもので、それ以上の意味はない。オリジナルであると主張しているんじゃない。単にパーソナルなものというだけだ。そして、それこそがアートに言える最良の答えだ。徹底的に個人的で独創的ということ。

-彼らの試みについてはどう思いますか?

私が自身を無神論者だと考えないのと同じ理由だ。我々が神を信じていないと発言したとしよう。しかし、私にとって無神論は神を信じることの対極にある答えだ。これは宗教的な構造だよ(注・「神を信じない」という考えも、その存在を担保しているということだと思われる)。
チンパンジーは無神論者ではない。そもそも、その問い自体が存在しない。私が行き着きたい場所はそこだ。チンパンジーのようになりたいんだよ。音楽についても同じことだ。チンパンジーにも音楽は作れるし、絵画だって描けるんだよ。


#11. Robert Ashley / Automatic Writing 『Automatic Writing』から

何かヒントは?お手上げだ。

-アヴァンギャルドなコンポジションから作られていますが、明らかに初期のホワイトハウスと繋がっています。

興味をそそる。ノドの上にコンタクトマイクを置いたようなサウンドだ。

-『デディケイテッド・トゥ・ペーター・キュルテン』では何をサンプルにしましたっけ?

ロバート・アシュレイ?ファンタスティックだ。

-トゥーレットからのリリースは穏やかな録音で、この作品は彼の無意識下でのスピーチをキャプチャするものでした。ホワイトハウスの音にそっくりです。

今でも素晴らしく響く。スティーヴが聴かせてくれたレコードたちが如何に影響を与えてくれたか思い出させてくれる。キャピタルMから出たものは好きでないが、アルヴィン・ルシエやアシュレイは特にお気に入りだった。ミニマリズムにはいつだって惹かれる。付け足すよりも取り除いていくやり方が好きだし、それは美学とも呼べる。

アーティストがカンヴァスを白く塗ることと、塗装工や装飾家がそれをやることの違いは何か。同じように見えても、私はそこに違いはあると論じるだろう。そこには意図がある。

-意図とは推し量れないものです。

そうでもない。芸術的な純粋性というものがあるからね。それを捉える方法はさまざまだ。
私が主張したいのは、あらゆる音楽、絵画、本に触れた経験というものは、目に見えぬものから、または何が起こっているのか自分でもわからないところからやってくるということだ。空想や錯覚をしようが、それ(経験)は実際に目にしているものではない。


#12.Pita / Untitled Track 3 『Get Out』から

-心当たりは?

少し絞ってくれないか。

-ハードコアなヨーロッパのラップトップ・ミュージックで、レーベルを経営していて・・・

ピタ!ピーター・レーバーグ。彼の作品では聴いたことのないものだな。ラッセル・ハズウェルと比べて対照的なのが面白いね。ラッセルがDJをした時、殆ど自分の音源をかけていたと思う。彼がフローリアン・ヘッカーの作品に参加した時、互いのスタイルは似ているんだけど、どういうわけか、どの部分が彼の仕事かわかるんだ。個人的にそれが「金属的」(注・原文はMetal tropes)と喩えられるのは、少し違うと思っている。

-ケヴィン・ドラムンのように、ですか。

そう。ラッセルの作品が好きだから、そう思うんだろうね。

-ラッセルは録音家で、ピタは作曲家のようなものだと思います。

間違いない。ラッセルも同じように言うだろう。私からすれば、ラッセルのやっていることはコミュニケーションではない。
誰かに手を差し出すことは簡単だ。一緒に森の中へ行くか、あるいはそこで何かを見せてもらうかどうかはその人次第なのだから。しかし、いったん行くと同意したら、(差し出された側には)強力な威圧の原理が働く。私はそれを契約というものの一部だと見なしているよ。

だけど、意味を持つことに必要性などない。日本の言葉で表すなら「無」、何も意味しないことを表現するものだ。英語はイエスかノーで答えるが、どちらでもないことを意味する言葉を持っていない。無は、対極にある回答が無数にあること、それそのものを表しているのだと思う。少し禅っぽくなってきたな。


とにかく難解な言い回しと話題が多い回。ウィリアム・ベネットが如何に知的で思慮深い人間かを裏付ける記事でもあった。特に最後の設問は、編集段階でオミットされた部分があるのだろう、微妙に話が飛んでいる箇所がいくつもあり、読んでいても首をかしげてしまうかもしれない。特に作品を鑑賞した「経験」がどこから発露するか、のくだりは読んでいても訳していても混乱してしまいがちだ。一つ言えるのは、ホワイトハウスのライヴが現場主義、その時限りの瞬間をターゲットにしていることから、ベネットがフルクサスとロックンロールの子供であるということ。スティーヴン・ステイプルトンの作風の変化には納得いっていないようだが、その「圧倒されたい」という欲求、幼い時に得たインプレッションを追い求めるような青臭さは十分に共通している。ケンカするほど仲が良いと言えばいいのか・・・。二人はとある件でギスギスしてしまったようだが、このインタビューから5年後にはファウスト、カットハンズ、NWWという3マンライヴにて邂逅。もう険悪な仲ではないと思いたい。
いまやベネットにとってホワイトハウスの名前はタブーであり、未だにキャリアとして扱うメディアには辟易しているようだ。エディションズ・メゴから出るようなドローン・ミュージックになる可能性もあったかは不明だが、現在のカットハンズはプリミティヴなビート・ミュージックである。リリースを重ねることで洗練されていく過程を追っていけば、ホワイトハウスに限ったり、ノイズの始祖といった消費に留まるのはお門違いであろう。私としてはイタロディスコDJのロングセットを日本でも披露してほしいのだが、いかがだろうか?

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