The WIRE 2010年7月号 Invisible Jukebox Vicki Bennett(People Like Us)


#1. Herb Alpert & The Tijuana Brass “Casino Royale” 『The Look Of Love: The Burt Bacharach Collection』から

 [即座に]ハーブ・アルパート?曲の名前までは思い出せないけど。

-サンプルに使用したことはありますか?

今のところはしてないと思う。エヴォリューション・コントロール・カミティーが「Rebel Without A Pause」をサンプルにしていたから、自分でやるのはやめた。アルパートのパフィーでスタッカートなノイズは実に鮮やかでユーモアがある。「This Guy’s In Love With You」を歌うバート・バカラックのイージーリスニング版みたい。

-バカラックの曲のようなものです。イージーリスニングがあなたに与えるものとは?

とてもハッピーであると同時に、そこにはわずかな哀しみがある。それは英国と米国の戦後、その暗闇の時代である50年代に人々が明るいものを求めたことにも繋がっている。ポジティヴな何かが必要だったということ。でも私はミッド・センチュリー、英国博覧会や万博の時代のものも好き。それらは一つの楽観主義、私たちがその時にできる最善の方法を表していた。


#2. Psychic TV “The Orchids” 『Dreams Less Sweet』から

[瞬間に]サイキックTV。『Dream Less Sweet』の「The Orchids」。ホロフォニック録音技術の効果はそれほど出ていないけど、真の意図はその録音方法で色々な実験をするということ。ストリングのセクションはホロフォニック録音でアンドリュー・パピーがやったと思う。このアルバムは私が14歳から15歳になっていった頃に出たもので、12歳の子供が好きになるようなポップ・ミュージックから離れて、普通じゃないものにハマっていく時期だった。その夏に私はメインストリームから外れて、サイキックTVやサム・ビザール・レーベルのものに手を出していった。これとザ・ザ・の『Soul Mining』は特別なアルバム。

-音楽が見知らぬ世界への扉だったということですか。

そんな世界があることを知って、とても楽な気持になった。メインストリームのように横並びで誰もが同じものを好きになるんじゃない、たくさんの世界があった。アンダーグラウンド、ラジオの電波が拾わない場所にとても複雑かつ興味深いものがあった。私の知らない音楽とその作り手たちによるアイデアが好きだった。

-このアルバムにも「In the Nursery」のようにダークな曲があります。

他にはジム・ジョーンズの詩に音楽をつけたものだったり。ポップ・ミュージックはこうした底流を持っているし、ハッピーなものと暗いものを同時に扱うのは音楽や映画を作る立場から見て魅力的に感じる。その二つの振れ幅をいっぱいに表現したい。

-この前に作られたアルバム『Force The Hand Of Chance』と同時にジー・テンプル・オヴ・サイキック・ユースという団体も設立されました。

「Message from the Temple」を朗読しているのはタトゥー職人のミスター・セバスチャン。「Guiltless」はマーク・アーモンドが歌ってる。

-もし差支えなければTOPYに関わっていたかどうかを教えていただきたいのですが。

関わっていたけど、それ以上は言えない。話してもいいけど本には載せられない!


#3.Nurse With Wound “Juice Head Crazy Lady” 『Huffin’ Rag Blues』から

大友良英、ネイキッド・シティ、サヴァード・ヘッズ、初期のシュトック・ハウゼン・アンド・ウォークマン?

-ナース・ウィズ・ウーンドです。初期の作品を流せばわかったと思います。

ここ数年はNWWを聴いていなかった。90年代以前のものだったらすぐにわかったのに。NWWとコイルは90年代のフェイバリット。

-スティーヴン・ステイプルトンの作品で初めて触れたものはなんでしたか?

『Sylvie And Babs High-Thigh Companion』。他には『Spiral Insana』や『Large Ladies With Cake In The Oven』といったもの。たいていの人がふざけていると思うような名前がアルバムにつけられていて、その音楽は大々的にサンプリングを使用している。今の彼の作品がそうでないとは言わないけど、一つのアルバムに20人ほどの人が集まっているような印象を受けるところが気に入ったの。暗いスタジオの中で人々が輪になって手の平サイズのオモチャでコミュニケーションをとっているみたい。[クラクションの音真似をする]
こうした作品はとてもヴィジュアルを喚起するもので、煙草を吸っていた時期はよく座りこんで一服しながらNWWをプレイしていた。彼が20年前と同じ音楽を作らなくなって良かったと思っている。人と疎遠になるようにその音楽からも離れてしまうこともあるのだから。それはその人を嫌いになるからじゃなくて、その人が興味の対象からはみ出してしまっているということ。

-彼のアルバムのタイトルやヴィジュアルは、ダダやシュルレアリストからの影響が強いです。

とてもリゼルギッシュ(幻覚的な)だと思う。私がNWWに惹かれた理由はそのユーモアだった。彼自身はこれらのワイルドでカオティックなものを作っているという自覚はないように見えるし、作曲において伝統的な手法を使わなくても構わないと考えていたとも。NWWの音楽は次の瞬間に何が起こるかわからなくて、そこが好きだった。


#4.Christian Marclay “Maria Callas” 『More Encores』から

クリスチャン・マークレイの「マリア・カラス」?実に独特で美しい。サンプリングの成功例はそれがサンプリングであると気付かないこと。ジョン・ケージの言葉を借りるなら、オーガナイズされた音楽になっているということ。音のソースではなくそれがいかに調和しているかということ。これは素晴らしい方法で音が組み立てられている美しい例の一つだと思う。そこではマークレイがマリア・カラスをサンプリングしているという事実は重要でない。

-彼は音楽を作る上でどんな技術を使っているかを明かしています。レコードの回転数を上げ下げしたり、針でひっかいたり。

そう、あらゆる技術を使っている。

-サンプラーは正確すぎるので、こうした荒々しい成果を出すのは難しいでしょう。

今日のサンプリングはほぼ忠実に抜き出せる。昔はテープそのものをサンプルしない限りは荒々しさが残るため、一聴してそれがサンプルだとわかった。今ではトラックごとサンプル化して別の音源とミックスできるため、オリジナルを突き止めるのが難しくなっている。

-マークレイはファウンド・サウンドからフィルムにも手を伸ばしたした人物です。あなたもそうですね。

ライヴをやり始めたころはオーディエンスにアピールするものが必要だと思ったので、すぐにライヴ用に映像を作ろうとひらめいた。今では音楽を作っているという意識は10から15パーセント、残りは映像的なイメージが占めている。音楽が重要じゃないということではなくて、そのイメージにいかに音を付けるかということ。今も映像の修練を続けていて、最終的には音楽と調和できるようになると思う。

-あなたのスタイル、アプローチの仕方を変えるきっかけになりますか?

そう思う。映像とアートはそれぞれ違う分野だけど、クロスオーバーする時もあるから。あるアーティストが自分とは別のメディアで表現に取り組むと、俯瞰した時に興味深い結果になると思う。ジョン・オズワルドにも言えて、映像は彼の発展に必要なものだった。彼はジャケットをよく作っているけど、スローな映像作品も作っていて、公共の場所で撮影したりしている。それはサンプリングのようなものだけど、興味深い方法でイメージを変換している。

-イメージに即した音を出しますか、それともあえて分離させますか?

私のライヴで使う映像は150から200本のフィルムから参照しており、それらは主題にまつわるものを調べ上げたものから選んでいる。次に同じテーマでサンプル音を集めて、それを一つの音楽にする。これらは歌詞や曲の雰囲気と、スクリーン上で起きていることとの会話のようなもの。それぞれの映画から抜き出されたイメージは関連性を持たないけど、そこに現れる俳優たちはカットアップされているという共通点がある。だから音楽的にも映像的にもコンテキストを有した音楽を作っている。異なるメディアを同じ技法で作ることで、それらは同一でありながら別々の存在になっている。

-2'00 The Movieを見ました。

あれはバービカンで開かれたモア・スーム・アンド・タルトのパフォーマンス用に作ったもの。参加者は2分間の映像を作るという決まりだった。映像はスペインのキー・ラルゴから始まり、その直後に2,30本の映画から切り取った災害のシーンを繋げた。


#5. Daphne Oram “Four Aspects” 『Various Not Necessarily “English Music』から

ヒントが欲しい。

-何年代のものだと思いますか。

50年代?何かのサウンドトラック?

-類を見ない作品の一つです。英国の女性作家で、電子音楽のパイオニアに数えられている人物です。

レディオフォニック・ワークショップ?

-そうです、共同設立者のダフネ・オラムです。

彼女の音源はよく知っているけど、これは思い出せなかった。彼女のアーカイブをサウス・バンク・セントラルで調べたこともあるし、そこでパフォーマンスをしたこともある。ほとんどがアバンギャルドなものだった。ダフネとデリア・ダービシャーのコンクレート・ミュージックは本当に素晴らしい。ダフネはあまりに実験的すぎたからか、レディオフォニック・ワークショップとも相性が悪かったみたいだけど。彼女は新しい技術に取り組んで、手書きの図形を音に変換する機械を開発した。今ならこの曲が彼女のものであると断言できる。そこには強力な感情が込められている。彼女の曲はほとんどが物悲しく、まるで機械が自分しかいない惑星の上で鳴り続けているかのよう。ダフネが学童たちと作った音楽もあって、それはとても実験的でありながら陽気なものだった。68年に出た『BBC Radiophonic Workshop』というレコードには彼女の曲が3つ入っていて、素晴らしいポップミュージックになっている。どうやって作ったかはわからないけど、60年代後半の時点で目覚ましいサンプリングが実現されていた。


#6. Negativland “I’m God” 『Free』から

ラングレイ・スクールズ?いや、違う、ネガティヴランド。彼らのサンプルの使い方は非常に独特で、出自は全く違うけどヒップホップのよう。

-初めて耳にしたサンプリング・ミュージックは何でしたか?

On-U Soundのゲイリー・クレイル、タックヘッド、マーク・スチュワート、ヒップホップ。On-Uのリリースは全部買ってたし、ギグにもしょっちゅう行っていた。あれはヒップホップをスローダウンさせた英国流の解釈だった。エクスペリメンタル・ミュージックの分野でサンプリングを耳にしたのはこれよりも後のことだった。

-このアルバムの名はFree(無料)です。

売る店を混乱させるために「無料」のステッカーが貼られた。

-無料ダウンロードが音楽家やアーティストに経済的な打撃を与えるという見解についてはどうお考えですか。

率直に言えばインターネットがある今日、どう使うかということ。お金を持っていたら何かに使いたくなる。CDがリッピングされてインターネット上にアップロードされても、人々がお金を使わなくなるということにはならない。その浮いたお金を何に使うかが問題なの。アーティストがそれに適応しなければならないというのなら、現状がそうであるということ。私はギフトエコノミー(贈与経済)を信じている。誰かが作品をオンライン上にアップしたとして、それをダウンロードした人たちの何人かが将来権威ある立場についた時、そのアーティストと繋がることだってあるかもしれない。私は自分の作品をオンライン上で購入またはフリーでダウンロードできるようにしてあって、そこからコミッションやコンサートの依頼を受けることもある。好もうと好むまいと時代の変化を止めることはできないので、そこで出来る最善の方法をとるべきだと思う。

-サンプリング・ミュージックをやるということは、誰かがあなたの作品を解析して、オリジナルへのロイヤリティーを払うように請求してくる可能性もはらみます。

 何千ポンドものお金をかけてね。この種の法律を私は信じていない。私有財産を盗むことには同意できないけど、一度公共へとリリースされたものは所有権が制限されるとも考えている。人々がそれを使って何かをすることが許される領域は確かに存在する。リリースされたものを私は図書館にある資料と同じように受け取る。図書館では何かを借りて体験した後にまた返しているでしょう。ダウンロードに関していえば、それがそこにあるということがすべて。今の時代、アクセスできるというタームは私たちをもっとも悩ませていることだと思う。アクセスできるのは誰なのか、情報に対価を支払う必要があるのか。アクセスにお金を払わない人々はその情報を手に入れる資格がないということ?


#7. Dave Soldier & Richard Lair “Temple Music” 『Thai Elephant Orchestra』から

わからない。

-WFMUであなたと競演したこともある作家です。この曲を演奏してはいませんが、そもそもこれは人間が出している音ではないんです。

ああ、デヴィット・ソルジャーとリチャード・レア。タイ・エレファント・オーケストラ。素晴らしい二人組。これは象による演奏ね。ソルジャーは色々なタイプの作品を手がけている。子供たちに作曲させたものとか。彼は神経生理学者だからグループにKropotkinsなんて名前も付けている。彼の作品で大好きなのはロシアのコマール&メラミッドと一緒に作ったもの。好きな音楽と嫌いな音楽について500人ほどアンケートをとって、「求められてない音楽」と「求められている音楽」の2曲を作った。前者はバグパイプ、ラップ、女性による抗議、子供の歌声、無調の音楽。後者はソフトロックやラブソングだった。後者の方が恐ろしくて、まるでスーパーマーケットの中にいるみたい。「求められていない音楽」の中ではとても興味深い音楽とバカげたそれが組み合わさっている。毎回異なる試みができる人は尊敬に値する。


#8. Monty Python “Decomposing Composers” 『Monty Python’s Contractual Obligation Album』から

モンティ・パイソン。エリック・アイドル。

彼らの影響力は大きい。モンティ・パイソンはそれまでとは違うタイプのユーモアがあった。とても複雑でシュルレアリスティックなユーモアの先駆けだった。ユーモアとシュルレアリスムは本質的に繋がっている。「Always Look On The Bright Side Of Life」は彼らの中でも最高の1曲。とても明るく歌っているように聞こえるけど、そこでは人生なんて酷いものだとしか言っていない。
FCCソング」を知ったFCC(連邦通信委員会)はこの曲が自分たちを侮辱しているとして彼らを訴えた。そのお返しにエリックは「ファック・ユー・ベリー・マッチFCC」を送った。

テリー・ギリアムのアニメーションにも影響を受けたというよりはインスパイアされた。色々な映像を素材にしたコラージュのアニメーション。『空飛ぶモンティ・パイソン』のオープニングのような矛盾したもの同士の組み合わせで、ファインアートの視点をコメディに取り入れていた。


#9. Liedertafel Margot Honecker “Vorwärts, Freie Deutsche Jugend”

 フェリックス・クビン。

- どうしてすぐにわかったのですか。

 彼のことは作品含めてよく知っているから。これは90年代初頭のシングルでポリティカルな試みのもの。フェリックスとウリ・レーバーグは架空の共産主義政党を立ち上げた。それは古いドイツの価値観に基づいて作られたもので、自らのアートのステートメントのようでもあった。実際に立候補して話題にもなったし、テレビにも取り上げられた。ユニフォームやレーダーホーゼン(ドイツの地方で男性が着用する革のズボン)を着て森の中を行進したり、そこでとった木の実をジャムにして食べる様子をフィルムに収めたりしていた。外からの反応に対応しきれなかったので頓挫してしまったけど。

多くを握っていたのはWalter Ulbrichtレーベルのウリ・レーバーグだった。かつて彼はハンブルグにラフ・トレードのような店を持っていて、壁一面を大きなコミュニストのポスターで埋め尽くしていたの。フェリックスに連れていってもらった時、ウリは日本語を勉強していた。私に店を任せて外出してしまうものだから、ドイツ語が話せない私は接客ができなかった。

-フェリックスと作業したことはありますか。

彼と知り合って15年間は経っている。リバプールのラジオではMolar Radioという子供たち向けの番組を二人で作った。Ubuwebでもダウンロードできる。彼は私の曲をリミックスしたし、二人でジェーン・バーキン絡みのプロジェクトに参加したこともある。彼の音楽は大好きだし、もっと知られるべきだと思う。


#10. Blectum From Blechdom “Rock A Mallard” 『Snauses And Mallards EP』から

 オヴァル?とても良い。誰なのか知りたい。

-ヨーロッパではありません。ウェスト・コーストのアーティストであなたも知っていると思います。

ブレクタム?この作品は知らなかった。ケヴィンとブレヴィンの二人は互いに異なる音楽性を持っている。ケヴィンはとてもメロドラマティックかつ逸脱した歌詞のバラードを書くし、出演者の多い大規模なオペラやミュージカルまで手がけている。彼女はフロリダ育ちで、児童虐待事件によって名前が知られた学校に通っていたから、それをテーマにしたオペラを書いていた。彼女はとことん自分をさらけ出す人。

ブレヴィンの作品はとりわけ『Gula Flutter』が素晴らしい。とても繊細かつ軽妙な音楽で、彼女が鳥類の専門家であることにもなんだか納得がいく。私は彼女たちとは交友があるし、彼女たちと一緒に作品を作った人たちとも繋がっている。二人とも音楽の博士号をとっていて、たくさんの試みを続けてきた。二人はアルス・エレクトロニカに入賞し、それを受け取る直前に別れてしまった。今ではケヴィンはLAに、ブレヴィンはニューヨークより北のどこかに引っ越したと思う。ケヴィンは早熟で、入賞した時点ではまだ19歳だった。彼女らのように若い世代が目覚ましい発展を遂げ続けることで、世界はより面白くなっていくでしょうね。

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