2025年のzineとかアートブックとか

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zineという語がよく使われるようになったからこそ、自分なりの定義を説明する必要がある。パンクとかアングラといったことばを使うのと同じで、それ単体ではもはや何も言ってないのと同じみたいだ。昔、自分が作り始めた2008年ごろ(今のように個人古書店が大量にできてはすぐに消えていったような・・・)、zineという呼称はあまり使われていなかった。フリーペーパーかミニコミが多数で、zineは「フルカラーのおしゃれな写真で高い金とってるやつ」と揶揄されていた場面に出くわしたことがあるくらいだった。極端な意見だと思うが、最近は大手の雑誌の付録がまさにそんな感じになっていて、あの頃と同じではないことを実感できる。
取次に乗ることなく、書店にも並ぶことのない本が総括されてzineと呼ばれていると思うのだが、発表する側にそうした意識があるかはまた別のはずだ。結局は何を表現しているかより、どんな立ち位置にいる人が作っているのかを「わたしは」重視している。大成した作家や企業がアマチュア主体の同人誌即売会に出てるのを見ると、その思いは強くなる。

少しずるいが「〇〇とは違う」という消去法的な自己紹介もありだ。反ではなく非。ずるくない(と思われるような)答えも用意しなければいけない場合、zineは個人ないし少人数が無料またはワンコイン程度の価格で頒布されるものとしている。商業的利益を目的として作られていない、広くはないが確かに横へとつながるためのもので、過度な告知・宣伝もしない。「企業じゃなくても、大手メディアじゃなくても同じことができます」というアピールは、その実同じ土俵へ立つという目的が感じられる。だからzineは個人で完結していてほしい。手にとる側から近寄っていけばいいだけなので。こうした考え方の源は、こうした個人サイト上で何かしら発信することを経ていたことが大きい。古くからやっている人たちと決定的に感覚が違うとすれば、ここだろう。

もう一つ、最近よく使う気がしている「アートブック」はイラストレーターやマンガ家が発行した作品集というイメージだ。ポーランドやドイツ、今年実験的に芸術家への支援を導入したアイルランドといった、政府からの助成金をもって作られた雑誌もこう呼んだ方がいいかもしれない。ラトビアの『kuš!』とかフィンランドの『kutikuti』、クラクフで作られている『ZK』など、手元にあるものに限るが、これらはフルカラーかつ上質な印刷で作られている。そして分厚い。
どれだけ条件付けしても、なにがzineであり、zineでないかの分類はややこしく、それ自体が目的化しそうなのであまり考えないことにしている。要は気になったやつはすべて手にとる。今年手にとったやつをいくつか。

ロンドン東にあるアナーキーな書物だけを扱うFreedom Book Shopにて購入した『One way ticket to cubesville』。中身はアナーコパンクバンドのインタビューなど。パレスチナ連帯・イスラエル軍の侵略と虐殺に反対するコーナーの横には、さまざまな少数派言語(話者が少ないという意味)によるプラカードが配布されていたので、こちらも持ち帰っておくべきだった。🍉のポストカードもあったので、そちらは購入。この書店は『The Raven』という80年代のアナーキー雑誌のバックナンバーも扱っていたため、この機を逃す手はないとそちらも買った。
このジンには袋とじされた砂がついており、置いたそれが自分の世界、自分の場所になることを示唆している。1000万個集めれば島ができるぞ、とのこと。わたし個人としてはイズムとはドグマ化の兆候であり、形容詞「アナーキー」がつく自分であり続けることがパンクだと思っている。人によっては独善的・自己中心的とみなされるかもしれないが。

わたしの中では次にくるというかきているマンガこと『Fool Island』の著者ラファエル・ザイアッツ(トビリシ在住)が、同作の前に発表したマンガ『Makinaphobe』。アメリカのStrangers Publishingから出た立派な単行本であるため、zineの規模ではない。アニメ『カイバ』のようなタッチで描かれるほぼほぼサイレントマンガ。これを経て都市(と古代)が舞台の群像劇『Fool Island』に至る。本作から発見したものに作者自身がつき動かされてるようで、その勢いが読んでて頼もしい。

クラクフで活動しているPAPATU (XuhとJavvieのユニット)のグッズを仕入れては販売するようになって長い。いつも商品を送ってもらうついでに同封してもらっているのがこれらポーランド発のzineや雑誌。『PRODUKT』と、ここにないけど『ZK』(Zeszyty Komiksowe)は、時折オープンコールをかけて作家を世界中から募っている。アーティスト支援の名目で出されている助成金に支えられているもので、『kuš!』や『kutikuti』と同じように他国からの参加もほぼ一義の目的としているはずだ。ほぼポーランド語なので読めない(勉強しているが難しすぎる)。作画面では日本のマンガの影響が強いということはわかった。
PAPATUの二人が個人で作ったアートブックは、解説をつけた上で日本語版を作ってみようと計画中だ。それと、Xuhがかつて作っていたzine(にしては分厚いけど)『ciut』に載ってたマグダレナ・ジェペツカ『SUKEBAN』の続きが読みたいぜ。

今年も『Randal's Friends』の本を一冊作り、これがまた我ながらよい出来だった。カラーページも入れたし、本文用紙も上質紙にするなど地味に投資したが、その甲斐あって見た目からしてよくなったと思う。自分がやった仕事を振り返ることはまずないが、これは数少ない例外となった。なんとか1000部売れたので在庫の心配などもせずに済んだ。価格的にもzineと呼べるスケールでないため、アートブックと呼ぶ方がふさわしいだろう。そして「Suikazuraとしては」zineを作らない。なぜなら個人ではなく一応はレーベルだからだ。

誰でも参加できるコンピレーションの完成を記念した?zine『エスパーキック』もよかった。、複数の音楽家のインタビューが載っていた。peeqさんとの対談目当てに購入した。モチベーションをSNSの投稿だけに費やすのは勿体ないというか、それで本当に満足できるわけないだろうという考えを後押ししてくれる内容だった。

以前に何号か買っていたzine『PORTAL』だが、この間、片町にあるバーで開かれたイベントに行ったところ、直近の号を手に入れる機会があった。ダークウェーヴ、ゴシックと呼ばれるようなバンドたちのインタビューがたくさん掲載されている。金沢では、こうした音楽(そして自分が普段集めているようなもの)が手に入ったり聞けたりする場はかなり少ないようだ。

Vol.4なのかISSUE 1なのかよくわからないが、コーマック・ペンテコストが個人で発行している『Undefined Boundary: The Journal of Psychick Albion Volume 4 ISSUE 1』。ページ数的にも、検索してもあまり出てこないトピックが視認性を無視して羅列してあるところも『FEECO』に似ている、と勝手にシンパシーを抱く。
ロブ・ヤング、マーク・フィッシャー、A YEAR OF THE COUNTRYといった面々を取り上げているとくれば、そのとおりテーマはブリテン諸島全体を対象にした土着文化から分析する憑在論である。コーマックはもともとCOILのファンジン『COIL ZINE』を複数回発行していたが、サイキック・アルヴィオンを標榜し、よりオカルト的懐古主義へと向かっている。今号ではCocteau Twinsと考古音響学という触れ込みの記事まで収録されており、日本ではほぼ輸入されていないパストラル(牧歌的、郊外の)というレンズから眺める憑在論を求めている人には嬉しい雑誌だ。この号はPDFで買ったが、バックナンバーはいくつかフィジカルで持っている。まとめて分厚い一冊にしてくれてもよいと思うが、どうだろうか。

他にも能登地震体験を綴った日記や、労働の合間に買ったものを紹介するジンなど、プライベートなものもよく手にした。富山のブックフェアはまた行きたい。


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(25.12/24)