強烈に否定するに値するものがないからアントニオーニ観に行きたい

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ミケランジェロ・アントニオーニ『砂丘』が、香林坊のシネモンドにて来週から上映されるとのことだ。『欲望』は20代のころにDVDで観たはずだが、望月峯太郎『ドラゴンヘッド』冒頭で主人公がサウンドトラックを再生していた映画というイメージが強すぎて、本編はあまり覚えていない。60年代に芽生えた多彩な文化的事件というか、さまざまな位相のさまざまな出来事の余波である作品群は、わたしにとって「古典」の一語で要約ないし矮小化されるものだった。なので義務的に接している側面が強く、よほどショッキングな内容や映像表現でなければ、ほぼ記憶に残らない。芸術家や政治活動家の強迫的な行動を象徴的に描くのも、まあまあピンとこないのである。よくも悪くも、制作者の個人的背景や時代との関係性で補足するような鑑賞態度でなければ過去に向き合えなかったし、それは今でも変わっていない、だろう。音楽の楽理的構造にさほど関心を見出さないのと同様、映像という表現方法自体に興味を持てる例というのは非常に少ない。20年代のようなすべてが実験的といえる黎明期を除けば、映像と内在するであろうコンテキストの両方から接することができるのはデレク・ジャーマンくらいかしら。なんせ映画には縁がない。・・・が、最近は少し事情が変わってきた。

アントニオーニ『砂丘』を観に行きたいと思うのは、そこに60年代末の残滓があるといわれているからである。つまり、かの時代への関心がたまたま高いからみてみたい。ただそれだけのことだ。これは先週出たばかりの『FEECO』誌でも書いたように、昭和30年代ノスタルジーの依り代としての『鉄人28号』と、こうした商業的な意味でのレトロでは汲み取られない「戦後の戦中」ともいえる、戦争に対する日本社会のありようを日本版憑在論とみなすこととも無関係ではない。終わったとされるものを説明するあるいは訪れなおすためにテキスト以外の入り口が要請され、芸術はその有効なメディアである。もちろん、入り口になれるかどうかはその表現の出来にかかっているし、受け手もまたどれだけ歩み入れるかが問われる。
わたしの場合は、それぞれ別の地点から同じ領域(=過去)を再訪するものを手元に並べることで、はじめて自分が歴史の一部になっていることを実感できる。そうしなければ、どこまでも個人だけで完結してしまう。若いころはそれだけでよかったし、今でも自分と外を隔てる決定的なラインはなくしたくない。しかし、今はそのラインを引くための動機として自分が経験していない時代と、そこに生きていた人間の痕跡のようなものが必要になってくる。歴史に対する個人的な代替案として人生を生きたいと思っているからである。今回の『砂丘』はよい機会になってくれる、だろう。

もう一つ60年代という時代への関心に意識的になった理由は、四方田犬彦の自伝『ハイスクール1968』であった。いつかの富山の古本市で買ったものを、読みかけで放置していたところを先日読了した。この本で綴られる四方田の少年時代は、それなりに恵まれた環境(経済的・喫茶店や古書店に気軽に立ち寄れる地理的・詩や哲学をたしなむ同級生がいるといった人縁的)に裏打ちされたものであるし、あくまでその世界に身を置いている高校生としてのフラストレーションやコンプレックスが綴られている。だが、読み進めていくうちに、それはさして重要なことではなくなった。本書は、1968年に高校1年生で、著者曰く「Sly And The Family Stone」的な意味での「暴動」という意味合いをもった高校生のバリケード闘争に参加し、その運動内での裏切りや参加者たちの転換を目の当たりにすることで傷ついてきた少年の足跡である。叫ばれる革命を外的な意味でも内的な意味でもコダワリにできた時期であり、それは希望であると同時に呪いであった。この革命は多面的で、ロートレアモンやセリーヌのテクスト、ザ・ビートルズといった媒介を通して、未知の衝撃が人格と世界観を形作っていく過程が克明に記されている。宮谷一彦『セヴンティーン』とアンドレ・ブルトンらシュルレアリストたちのことばをもって、17歳という時間が絶対視される。

昔はこうした文章を読んでいると、今日の古典の誕生に立ち会った人々を羨ましいだとかいって、体験し得ないものへのノスタルジーとして消費していた。つまり一生再現されることはないし、自分が同じ状況に置かれることはないと断定した上でのファンタジーである。これは『鉄人28号』といった昭和初期の産物が小奇麗に復活させられた2000年代半ばに、わたしが17歳を迎えていたことと無関係ではない。インターネットの普及と過去の再生産という文化的サイクル下において、わたしのとっての「昔」はパッチワークのように歪な模様を持つようになった。過去に起きた社会的事件だろうが娯楽だろうが、等しく昔、凍結した時代の地面から掘り起こされたものであるという消費主義としてのレトロ、その一形態である。新しく作られた過去はフェイクで、本当に起きた出来事への入り口にはなっていない。昔の痕跡としてではなく、あくまで再現という意味で復活させられた哀れなミイラ、いや亡霊たちである。だからこそ、それらに影を与え、おざなりにされた時間へ至らんとするのが最近の研究の主旨にもなっている。そういう意味で、わたしは今もレトロに夢中である。

80年代も終わるころに生まれたわたしにとって、四方田が経験した一連の時代精神の瓦解ないし凋落は想像するほかない。いや、60年代末の学生運動に限らず、ほぼすべての過去に対するイメージとは、自分で考え抜いたものではく、知らぬ間に用意された回答(解答ではない)が刷り込まれた結果としてであった。上で書いたように、掘り起こされたものを自分で得たかのように錯覚し、「これはこれ」的な態度で解析した気になる。本来はそうした思い込みを粉砕されてはじめて自らの見地というものを得るのだが、そういった熱望や挫折に襲われる機会に乏しかった。いつのころからわからないくらいには、外の世界と自分の間にまたげないライン、わたれない川を敷くのが習慣的な態度になっていた。
四方田のように学校の授業に虚無感を覚えていたこともあるが、それは教師や大人たち全体という権威側への疑念・怒り・不足に裏打ちされたものではなかった。単に流れていく時間としての学業があり、他人があった。これらに対して強く反抗してやろうかというある種の気概もなく、期待されるようなこともなかった。
もう一つ、わたしはいわゆるバブルや氷河期世代よりもずっと下であり、なんとかなる的な能天気さはもちろん、社会に裏切られたという実感もない。延々とアルバイトや派遣で食いつないでいただけであり、成功や挫折の体験がなかった。両親は受験を要請しなかったし、テストで赤点をとっても怒ることはなかった。その代わりにどうすればいいかという提言も一切しなかった。家庭に金はないということと、そんなことでお前の将来は大丈夫かと心配するだけであった(早くに別居していたので、子供に気を遣っていたこともある)。友人もクラスメイト以上の存在になる人はほぼおらず、現に当時の付き合いは誰一人残っていない。運よく成人して以降は少ないながらに続いている縁に恵まれたが、それまでに自分と比較して人生の相対化を果たせるような関係はなかった。この他者の欠乏は、自分のことを棚に上げて他人についての会話をするときに強く反映される。常に自分の手札を伏せながら、相手の手札はできるだけ把握したいという卑しい癖がまだ抜けきれないために、最近は自分のことを正直に話すように努めてはいる。もちろん、頭の中すべてを開陳できるほどお人よしでもなければ、そこまで考えが整理できているわけもないが。
誰がいったのか、文字を発明した時に人類は時間という制約がなくなったという。過去も未来も現在も書き記すことができて、意思を残すことができるようになったからだ。だが、残そうという意思がなかったら、文字が使えても使えてないことと同じだ。自分はそういう試みをしてこなかった。

『ハイスクール1968』もアントニオーニの映画も、時代への回答すなわち特定の時間に縛られている自分への説明責任を果たすことだと思われる。四方田が漫画批評をしていることもあるが、ここまで書いてきた道中、脳裏に倉多恵美のまんがのことが浮かんでいるのは、あれらが過去との対話としてのまんがであり、思索を置換したものとしての芸術という考え方自体に実感を抱けるようになってきた証拠である。倉多の「イージー・ゴーイング」や「かくの如き・・・!!!」(それぞれ1976,1977)は、対象が外の世界であったり自分自身であったりする違いこそあれど、闘争的態度をもっていたアイデンティティが折れるさまを描いている。哲学をもった人物が、自分の哲学に殺されることを戯画化している。「イージー・ゴーイング」が描くのは、第二次世界大戦下の軍国主義に折れた学生のことであると同時に、四方田と同じ時と場所でバリケードを貼った学生たちや、あるいは三島由紀夫のような人間に対する精神的な供養なのかもしれない。「かくの如き・・・!!!」に出てくる先輩青年は、サルトルなどにかぶれるも社会的アクションに参与できなかった人物の悔恨のようでもあるし、自分の都合で心中をはかる場面は太宰治のような作家への回答にも思えてしまう。漫画に登場する人物たちは架空だが、彼らのような人物はいたのだ。世界であれ自己であれ、強烈に否定する勢いでタナトスへと落っこちてしまった人間の痕跡を辿ってみたいという、精神的ダークツーリズムが今のわたしの「レトロ」である。

最後に。まんが専門誌『だっくす』1978年7-8月号は倉多恵美特集。読者投稿の長文がなんと大里俊晴だった。こんなことってあるのか、あるなら自分でもやっておくかってことで、次の『FEECO』特別号はまんが特集である。



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(26.4/13)