11/29 空間現代/Hair Stylistics at 外

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コロナ禍以来初めてのライヴだった。しかし、空間現代の演奏が始まり、野太いベースの反響が耳に届いた頃にはそんなことも考えなくなっていた。懐かしいとかそういう類の感情もない。海外に滞在していたことを考えれば1年以上生演奏の機会に立ち会っていなかったことになるのだが、そもそもの性分なのか感慨もなし。ただ演奏に見入るのみ・・・。

 空間現代の針飛びを実演するような展開はミニマリズムといえばそうなのだが、ライヒだとか、坂本龍一がハウスを語る際に持ち出していた「気持ちいい部分を1小節繰り返す」的な視点と異なる。そもそもがループではなく生弾きであり、同じ音だが同じでない。道筋を即興で作り出していくところはカンのようだが、あれさえも予定調和的に感じる密度と確固とした枠組みがあった。2015年に見たGoatのライヴも似た感触だったが、空間現代はそれよりもはるかにストイックで迷いのない進み方だった。瞬間ごとの思い付きではない。しかし、そこで何が起こるかわかっているなら、そもそも演奏しない。空間現代の独創性とは、そんな再現と即興の合間が発現するところにあると思う。「結果が分かっているサッカーの試合を観に行く者はいない」というダモ鈴木の格言があり、空間現代もここに重なるところはある。しかし、スピリチュアルではない。

 音源からも感じるのだが、ヘア・スタイリスティックスのノイズはとにかく機材が欲しくなる。何がどうなってるのかわからないけど変な音が出ている、そんな買ったばかりの機材を触り始めた直後の感覚が呼び起こされ、すぐさま部屋にこもっては機材を適当にいじり倒したくなる。自分は何を買っても贅沢な玩具どまりで、それはもう宝の持ち腐れに等しいのだが、この感覚を忘れてしまったらオシマイだろう。昨晩のノイズは人から感情を引き出す奇跡の類。ノイズの渦からクラップ、水戸黄門と寅さんのテーマがはみ出してきた時はそう思えたね。

 こんな時世だからこそ、今回のようなライヴは後を引くだろう。会場の「外」は歩いて帰れる距離にあって、これも嬉しかった。なんとか存続してほしい。

(20.11/30)

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